スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

感動をくれた鉄道復興

6400人以上の命を奪った阪神・淡路大震災。
あれからまもなく20年になります。
目を疑う光景の連続でした。そんな中、各鉄道は懸命に復旧にあたってました。その復旧プロセスは鉄道趣味人にとって非常に興味深く、「そんなことまでして走らせるのか」という驚きばかりでしたが、記録はしてません。震災直後はカメラを持つことにすごく罪悪感を覚えたからです。
ですから、「撮っておけば・・」の後悔もさほどありません。

当時、私は須磨で暮らしてましたが、水もガスも出ないので塩屋の奥にある実家に疎開、そこから神戸にある仕事場まで原付で通いました。電車が神戸まで開通したので塩屋から電車通勤に、そのルートはこのあたりを知ってる鉄なら驚くべきものでした。以下は須磨―兵庫間のルート図です。いちおう説明文も添えます。なお新長田は駅が崩落してるので通過扱いです

haisen.jpg

【上り神戸方面行き】
須磨を出て天神橋をくぐるまでは通常の速度です。その先で速度を落とし、ポイントで下り列車線、そして上り列車線へ転線し、鷹取のヤード最北の仮設ホームへ。ここは普段貨物や新快速がとばして通過する線です。
鷹取を出ると徐行しながら今度は下りの列車線へ転線。逆走しながら新長田で電車線ガードをくぐります。そのまま進み、兵庫手前で下り電車線、上り電車線と転線して兵庫駅ホームへ入ります。
【下り明石方面行き】
兵庫駅を出ると減速し、下り列車線に転線したあと鷹取と兵庫を結ぶ回送線に転線。普段は和田岬線用と川重からの新車を回送する線で急遽電化したそうです。ただ線路状態が悪く、ロングレールでもないので左右に揺れ、徐行のまま進みます。地方鉄道に入線した元大手私鉄の空気バネ車輛の乗り心地といった方が皆さんには分かりやすいかもしれません。やはり新長田で電車線ガードをくぐり山側へ。そして下り列車線に転線。そのまま鷹取駅へ。鷹取では上り電車線の上に板張りの仮設ホームを作ってます。鷹取を出ると上り電車線、下り電車線に転線。ここから西は上下とも電車線しか使ってませんでした。

走れる所をつなぎ、まるで綱渡りです。仮設ホームをつくり、回送線を電化までして電車を走らせたJRにはほんとに頭が下がる思いでした。

1ヶ月たち、ようやく水が出たので、私も疎開先の実家から家に戻り、鷹取駅から通勤する生活に戻りました。その際、一度だけ小型のバカチョンカメラを持って出かけました。

shinsai01.jpg
JR鷹取駅、神戸方面を見ています。快速も停まらない駅ですが12両以上の長さをもっています。停車中の201系は下り電車です。本来はホームの右側に着きますが、下り列車線に停まってます。本来の上り電車線はホームから延長された板の下、ホームには乗車位置が書いてあります。この頃の201系は6+6の12両で快速にも使ってました。

shinsai02.jpg
神戸方面直進の案内。上り電車は本来の上り列車線を使ってます。この先に鷹取工場職員専用通路(地下)があり、それを使ってヤードの一番山側の仮設ホームへ。専用通路から上り電車を降りた人たちが出て来ています。

shinsai03.jpg
クハ115の後ろ奥に小さく上りホームの駅名板が見えます。ちなみにここに留置されてた車輛は、ほとんどが横転してましたが、戻されてます。破損したドアや窓は板でふさがれてました。
shinsai04.jpg

shinsai05.jpg
上りホームはもちろん仮設、すぐ右は鷹取工場です。次駅が「ひょうご」になってます(本来は新長田)
shinsai06.jpg

鷹取からの前面も撮ろうと思ってましたが、車窓を見てしまうとやはり撮る気にはなれませんでした。

鉄道の復旧は人々に勇気と希望を与えるとよく言われてますが、ほんとうにその通りです
私はそれらの状況を新聞によって得、スクラップしておりました。それは誰かに伝えるためとかではなく、復旧していくのがただただ嬉しかったのだと思います。

shinsai07.jpg

その中でもこの記事には涙をこらえることができませんでした。
勝手に出していいのかわかりませんが、これだけは・・
神戸新聞3月13日付け夕刊。

この時点では、阪神とJRは三宮を走ってましたが、どちらも不通区間をもち、全く本来の姿ではありませんでした。
しかし、走ってることは事実。

走ってないのは阪急だけだったのです。

この日復旧した阪急も4駅間。全通した訳でもありません。

特徴ある阪急三宮駅ビルの姿も、もうありませんが
全通までの3ヶ月間、車庫へ帰れない搬入車輛たちが三宮を、
たしかに走りだしたのでした

shinsai09.jpg


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

貴重な記録

ありがとうございます。関西私鉄好きとしては、鉄道復旧情報は気になったものでした。
JRがいち早く復旧して、複々線を4列車が並走する映像をニュースで見たときは、感動とともに私鉄の地位が下がるのではとの不安がよぎりました。

同感でした

Cedarさん おはようございます
阪急阪神ともにJRと2ヶ月の差をつけられ、この間に固定の乗客を持っていかれてしまったようです。開通後もスクラップしてますが「どうする私鉄」みたいな記事ばかりでした。今は「JRは早いけどいつも混み過ぎ、私鉄は遅いけど座れて楽だから私鉄で行く」という声をよく聞きます。よろこんでいいのか悪いのか・・・
コメントありがとうございましたー

20年なんですね

あれからもう20年なんですね。
昨日もあの時産まれた赤ちゃんの成人の報道を見ました。
JRがこんな事して仮復旧していたとは知りませんでした。
あの復旧作業の報道を見てあそこまで阪急阪神と時間差が出るとは思いませんでした。

そうですね

Chitetsuさん おはようございます
まさにJRの底力といいますか・・・復旧するのが早かったですね
実はうちの下の子も昨日成人式でした。当時2ヶ月、毛布でくるんで外へでると、想像を絶する世界だったのを思い出します。
コメントありがとうございましたー

20年・・・

こんばんわ。

あれから20年、早いですね・・・ 

震災翌日、尼崎に戻った時に見た、実家近くで落下していた新幹線高架橋は、本当に衝撃的でした。しかし、その線路が僅か3ヶ月後に復旧したのは、更なる驚きでした。JRの底力を感じたのとともに、未だ復旧しない私鉄との差に、複雑なものを感じました。

そして、阪急三宮迄の運転が再開されたのを聞き、両親の見舞いがてら関西に戻り、御影から8000系に乗ったのが3月20日、昼食のために立ち寄ったレストランで、東京で発生した大事件を知り、背筋が寒くなったのを思い出します。

1995年は、思い出したくない1年です。

早いです・・・20年

nnishi1968さん こんばんわ
ご両親の「見舞い」とありますが、もし本当の方のお見舞い(言い方変ですね)でしたなら、さらにつらい思い出ですね。大丈夫でしたでしょうか・・・
追い打ちをかけるようなあの事件といい、
ほんと1995年は、暗いニュースが多かったです。
コメントありがとうございました

No title

上り快速となりますが、ルート図の通り運行する動画ありましたので、紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=nKJScukwdeU

やはり

12号線さん
やっぱり撮ってた方がおられましたか
見たいけど見たくないような・・・で、先ほど見ました
ああ・・・
ありがとうございました
プロフィール

mosaosa

Author:mosaosa
見ていただいたみなさま
ほんとうに
ありがとうございました

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
おこしやす
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。