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国鉄鷹取工場(1)

痛勤おつかれさまです。寒くなりましたが、皆さんお変わりございませんか?
ワタシは今のところ元気です。
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さて、国鉄鷹取工場といえば昔の鉄(ということはここに来ていただけてる方全員ですね)なら知らない人はいないのではないでしょうか。場所はわからなくても名前は聞かれたことがあると思います。具体的な所在地は、うちの近所です。
しかし、阪神大震災で被災し、工場はその機能を網干に移して、なくなりました。今回はそんな国鉄鷹取工場の在りし日の姿をお伝えする不定期シリーズの一回目でございます。

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もう時効ですので言っちゃうと冒頭の写真は工場の塀の前に置いたチャリの荷台に立って中を覗き撮ったものです。だって頭だけが見えてたら、何がいるのか気になりますよねー!! 
南側の塀が途切れたところから唯一の本線との連絡線が出ており、そこの間から中が見えました。とにかく塀の中はワンダーランドです。
その線から夕方、出場の車輛が出てきます

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まずは転線のため入換え機タカトリ1号が出てきます
ちなみにこのタカトリ1号は数年後・・
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りっぱな竹ヤリ暴走族に替わってました。塗色は青→赤に

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出場車を牽いて出て来ました。さあ何がでるかな何がでるかな・・

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EF52でかーっ これは冒頭のと違って4号機(冒頭は2号機)
ライト切れとるがなー
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続いてSL時代は撮影現場で赤ブタと呼ばれて親しまれたDD51の11号機、正面白帯がナンバー下を通る初期型。吹一のDD51は若番が多かった気がします。
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転線して本線へ戻ってきます
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近畿一円から鷹取へ来るといっていい位、いろんな区のカマが来ておりました。EF52はもちろん竜華区所属です

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本線側には機関区もいちおうありました。昔は華やかだったようです

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この場所にはよくSLが停まっており、9時と5時に汽笛を鳴らしてました。なんで有火なのか職員の方に訪ねたら「ああ、こいつで風呂わかしとるんや」
・・・マジなのか冗談なのか・・・
なんだかちょっと悲しい気分にもなりました

もちろん、正々堂々と守衛さんにことわって工場に入れてもらったこともあります(なにをエラソーに)。
それは塀の向こうにD51を見つけ、どうしてもナンバーが知りたかった時のこと、ワタシは正体不明の電車を見ました
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これでーす!! 
この時代はSL以外新性能バカだったワタシがちゃんと2枚も写真を残してました。何か惹かれるものがあったのかもしれません。しかし当時はまーーーったく何かわからず、ネガケースにも「謎の電車」と書いておりました。撮影は1972年です。おっさんになってからようやく興味を持ち、少ない資料からいろいろ推測しました。
うーん、裾の形状、窓のR、これはあそこ出身にちがいない、運転席側のHな目の下のホクロはここ鷹取か吹田の仕業・・全面にステップ? ということは・・
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連結面側は丸(折り?)妻です。乗務員室撤去したかのような小窓・・両運だったのかぁ? シル・ヘッダーなし
窓のRはかなり大きく、つり鐘みたいでオサレです
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わかりにくいけど連結面窓の上もきれいなR
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ちなみにD51211は現在、神戸の王子公園に保存中、ヨも2両一緒に展示されてますヨ

皆さんはもうおわかりですよね。
しかし、心配事があります。ここを見に来てくださる方は
とにかく「お電車命」の方が多く、途中でSLが出て来たあたりで
チャンネルまわされてるんじゃ
なかろうかぁぁぁぁ!!


え、ワタシ? もちろんわかってますよ
正解はク・
おっと 誰か来たようだ、ではまた チャオ!
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非公開コメント

No title

ひえー!なんですかー、このすばらしいお電車わっ!?

・・・・・ってお電車好きならダレでも知ってるんちゃうんけえええええええええええええっ!?
関西の青春、ぼくらのアレ(車型編)には載ってなかったけど(大糞核爆)・・・・・

ありがとーはんわんわん

チャンネルまわさんと見てくれたんやなー
撮った時マジで知らんかってん ていうか、ネットし始めてやっとわかったんやーーー
僕らのアレにも載せる予定やってんけどな・・おっと誰かきた、じゃ!

No title

こんにちは。
鷹取といえば神戸に引っ越してしばらくした頃に
義経号の復元があり、その公開時に塀の中に
入りました。それが塀の中で過ごした唯一の機会です。

それより前の青春Mさんの時代は阪和にEF52、DD51
初期型など面白い時代だったようですね。羨ましいです。

鷹取は国鉄末期は和田岬線のオハ64系が昼寝
していたり、20系客車が休車されていましたね。

お電車命1号

おはようございます!
ひたひたとやって参りましたお電車命1号です〜。
この電車の綺麗なアップ写真初めて見ました!
なんでこの電車がここに居たのでしょうね。
どうせならモヨ100もセット電車並べておけば良かったなあ〜!

ここは

いつ見ても楽しいところでした・・・一時須磨区民の品じぃさんならよくご存知ですよね。
幼稚園や小学生が見学で塀の中に入る時は、まぎれて入ったろかぁと思いました
古い車両がくるのはいいのですが、そのほとんどが解体のためなので寂しい思いをすることも多かったです。20系は震災の頃まで放置されてましたよ。コメントありがとうございます

お電車命1号の

Chitetsuさん こんにちわ!
ウィキにもこれだけが鷹取に保管され、入換え車として使用後解体と書かれてました。ワタシはネット上の工場公開時の写真で正体を知ったのですが、公開には必ず行ってたのにおそらくヌルーしてたんだと思われます。
お電車命1号様こんなワタシをどうかお許しくださいーーー

No title

こんにちわ。

この阪和型の電車は、屋根のランボードなどの特徴から、
クモハ20103のなれの果ての様です。

入換車として使用されていたそうですが、電車は入場しない
筈の鷹取工場なので、何処で使用されていたのか・・・

それにしても良い状態ですね。解体されたのが勿体無いです。

高砂工場には、スロ60も保管されていたそうで、保存目的
だったのか、ちょっと気になります。

こんばんわー

nnishi1968さん おそくなってすみません
ランボードでおわかりですか・・すごいですね
ワタシはここに書いてるとおりで、おはずかしいです
高砂も潜入してますが、少し眺めて帰っただけで、もったいないことしました
コメントありがとうございました

元阪和社形クモハ20103の由来

鷹取工場で使われていた元阪和社形クモハ20103は、元形式は「モタ3000形」で、昭和16年登場です。昭和4年の阪和電気鉄道開業時に登場した「モタ300形」「モヨ100形」の系列はリベット、シル、ヘッダー付きの当時の「普通の車」ですが、モタ3000型では、10年の間の技術の進歩や流行を取り入れ、いわば「モダン」な車両になったのですが、一方でモヨ100形以来の構造である「魚腹形台枠」を残した「古さ」もありました。
写真でも触れている「連結面側の小窓」は、確かに「両運転台の名残」です。モヨ100、モタ300型も原型は両運で、これらの電動車が完全に片運転台になったのは、昭和30年代に入ってからの工事です。工事は写真のように外側もきれいに整形された車もいましたが、見かけは扉が残っていて、車内側だけきれいに整形した車もいました。このタイプは扉の「ノブ」がないのでわかります。
モタ3000形が上記のように「外見だけモダン」になった最大の原因は開業してからかなり長い間経営難だったことが挙げられます。「阪和間45分」のために高性能で重厚な車を多く導入し、路線の方も天王寺付近で高架になったため、「初期投資」がかさんだのに対して、当時の世界情勢に影響を受けた不景気が直撃して、かなり長い間「経営不安」の状態にありました。当時「高性能車」で有名だった阪和の他、新京阪、大軌等、関西の私鉄各社も打撃を受け、経営母体の変化等起こっています。阪和電鉄も「足元が弱い」状態で、車両、インフラの状態の維持に苦しめられており、この結果、阪和時代から国鉄買収まで車両故障とインフラ劣化による事故に悩まされています。モタ3000型もこの流れの中で設計された車で、「新規設計の財政的余裕」が無いため、骨組みである台枠は在来車を流用し、外側だけ新しくした、という話があります。

ありがとうございます

原口さん こんばんは
今思うと、見逃してたらもうチャンスはなかったはず、この電車を見れたこと、ほんとによかったと思います。本文にもありますように、何も知らなかったのですが、窓Rなどでタダものではないことだけは感じました。
またまた丁寧で解り易い解説、ありがとうございました。
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mosaosa

Author:mosaosa
見ていただき
ありがとうございます!!

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