京阪神緩行線、旧型国電の編成

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昔はあまり興味がなく、ごくキホン的な知識しかなかった茶色い電車。
でも今見るとバラエティに富んだ編成が実に楽しいんです。
ボケた画像と教科書を照らし合わせ「これは◯◯だな、車番は◯◯かな?・・」
やっとわかるようにはなってきたもののまだまだ勉強途中であります。

そこで今回はその勉強の成果を見ていただこうと思います。
やたらと詳しい方が多いこの分野に踏み込むのは
大変危険があぶないですが
ボケる前にチャレンジをしてみました。

せっかくなので・・・

わしゃ旧国にゃちょっとうるさいでぇー
というあなた、そう、あなたは
セルフ解説でどうぞ!!
あたしの知ったかは最後にまとめて書きます
あ、念のため言っておきますが「少ない写真でなんとかなるぞ」と考えたわけではありません

登場する電車は3編成、まずは冒頭写真の電車から

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顔面どアップ

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先頭車側面

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2両目以下

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3両目以下、この時代の普通電車は7両です・・あ、今も7両です

お次は

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これ。
後追いなので奥が先頭としますね

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先頭から3両、キタナくてすみません

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4両目・5両目

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6両目・7両目

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7両目の顔面アップ

では3つ目

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コレです

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顔面アップ

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1両目

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2両目・3両目

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以下全部
決してめんどくさくなったのではありません。
足回りがつぶれて全くダメダメなので・・・

いかがでしたか、全部おわかりになられましたでしょうか


では、私なりのしったかを・・・
まず最初のやつ
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前からクハ55おそらく153(クロハ69改)、モハ72クモハ73(近代化改造、窓が2段)、クハ55(3扉パンタなしなので)、5両目以下は全金の73系(張り上げ屋根っぽい外観)

先頭のクハ55。3枚目の写真に写ってる3つ目と4つ目のベンチレーターの間隔が広いのがお解りいただけますでしょうか(実際は4つ目と5つ目)
218kk06.jpg
そして後部側の窓割りが均等ではない(矢印部は太いですね)のがクロハ69改。
番号は拡大すると153に見えます、とすると種車はクロハ69001です。
車掌側だけHゴムなのは珍しい?

次のやつ
218kk21.jpg
先頭からクモハ73サハ78モハ72、どれも3段窓に見えます。4両目はクハ55、5両目はクハ79、6両目モハ72、そしてケツ7両目は近代化改造のクモハ73、顔はまん中の窓が垂れ下がったやつですね、この手の顔はモハ72改の500・600番台も存在しますが残念ながら私には見分けがつきません。また教科書にはキャンバス押さえがないのは鷹取工場改造と書いてるものもあれば吹田工場改造と書いてるものもあり、ワケがわかりません。

3つ目のやつ
218kk22.jpg
先頭はクハ55、これもクロハ69改。こっちの方が最初の写真よりベンチレーターが等間隔でないのがわかりますね。
最初のとは違って運転士側のみHゴムでホクロ(通風器)付き、私はどちらかというとこれがクハ55のイメージです。
以下モハ72クモハ73クハ79(920)、モハ72モハ72クハ79
3両目は近代化改造をうけた車のようです。

だいたい合ってる?

なお旧国はこちらにもあります〜
明石電車区→

いずれにせよ、こんなステキな電車たちだったのかと後悔しきり

みんなええ顔しとりまんなぁー!!

218kk18.jpg

↑この写真、てっきり万博前だと思ってましたが、左上に「新幹線のりかえ」の案内がありますので72年3月以降に撮ったものです

なお国鉄三ノ宮駅についてはこちらもどうぞ〜
これこれ→

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しったか2号

万博直後くらいの写真でしょうか?。万博時、京阪は6000系がみず号ラッピングされていましたね(違)。

73の真ん中垂れ下がりですが、実は3枚とも同一サイズで、縦横を並び替えるとああなるそうです。
当時は、「な~るほど」と素直でしたが、今は、「79と一緒にすれば、予備品在庫が少なくなるのとちがうんかい」と思考が拗ねて悪質化しております。

やはり、「命が死ぬ(死なない)」と治らないのでしょうか。

やはり食いついた

 もうセミクロス車はいなくなった時代かと思ったら、最期の三ノ宮で写っているのはクモハ51みたいですね。
 三つ目の編成の4両目は近代化改造ではなく、全金の920番代ですね。近代化改造やったんはクモハ73とモハ72だけです。

ようこそ2号

万博の前後くらいの撮影です。
真ん中垂れ下がりは最初見た時「なんちゅー顔や」と思いましたが、中はキレイだったので許しました←ナニ様
でも今見ると愛嬌ありますね。

待ってました

ほんまですねー、みごとに張り上げぽいですね、訂正します。
ありがとうございます。
クモハ51、いつまでいたかは ? ですが万博の頃は確実にいました。最後のもおそらくそうです。
この企画が好評なら第2弾に登・・・おっと(爆)

三宮駅の

クモハ51の脇に見えてる駅名票、まだあるんでしょうか?
線路と直角なのはアジア風ですね。
本題と関係なくてスミマセン。

Cedarさん こんにちは

さすがにコレはないと思います。
横向きのちっこいやつに替わってると・・・
この向きならどこで撮ったかわかって便利ですね(爆)

うわっ!

ヤバ~~!
知らんでぇ~~~

あのなー

わいなー、この前、記事まちごうてコメントがふえたー♪
ゆうて喜んどるブログ見たんよ
ほんで、言うことにゃ「たまには間違えてみるのもいいですネ」やて
ぎゃはは、ホンマ、けっさくやろ〜

うまいこと考えたなー思て(大糞核爆)

質問で~す♪

クハ55と言えば、相方はクモハ41かクモハ51だと思うのに、なんで若造の73系と合体してるのですか~(ノД`)ミーミー

鳳や四条畷の凸凹所帯でしたら納得出来ますが、明石でも凸凹がおったとは・・・

万博でお電車が足りなかったのかしら?

しかも最初のクハ55に至っては車掌側がHゴム!もう朱色に塗りたく成増!

No title

幼少の時より立花の親戚宅へ訪問時によく乗っていました。片隅運転台がよく残っていたのでかぶりつき特等席でした。阪和のクモハ61002が最期まで片隅だったのでその頃をほうふつさせました。

わぁーい!! 姐さん

相方がクモハ51のもいましたよーいち。
クモハ51はセミクロスなので73投入により地方へ移動したのではないでしょうか。この時代は凸凹だらけ、きれいな編成は73オンリーの編成でした。
いやいや、茶色デハ?

No title

本線で半室運転台のに乗ってみたかったです

うーん、さっぱりわからん

茶色いキタネエ電車でひとくくりでしたからね。
イメージとしては京浜東北や山手で乗ってたヤツより、大糸線の方が近い様な・・・

わーい!! パパ

私の時代の茶色いキタネエ電車はわかりやすいです
3トビラでノーパンが55、パンありが51。
4トビラは73(クハは79・・・80系のクハがハチロクみたいなもん)
たったこれだけですよ、奥さん。
厄介なのは改造によって形式に加わった奴がいることです。元を知らないので教科書にたよるしかないんですよ、社長。
まぁ整形した犯人を探すようなもんですな、警部。
大糸線、行きたかったのですが行かずゴケでした

いろいろいたけど

 一時は51-200だとか元流電のサハ58なんかも流れてきました。最後まで残った戦前型はクハ55だけど、いずれも前科持ちのやつばかりでしたね。

おっしゃるとおり前科持ち

モハメイドペーパーさん こんにちは
半流のクモハ51とクハ55が好きでしたがクハ55の平妻も好きでした。
でも手持ちの写真を調べたらなんとこいつもサハ57(でしたっけ)改造、原型だと思ってたのでショックでした。ゆえにオリジナルのクハ55の写真はないことが判明しました(泣)

No title

クハ55の150番台の元がクロハなら800番台も元クロハ・・あーややこしい撮るもの撮るもの色んな種類で楽しい時代でした。もう一度帰りたい。

No title

私ももう一度帰りたいです

No title

緩行線の名物といえばなんといっても51のお尻にクモニ13をくっつけて爆走していたことです。0番台あり20番台がくっついていたり。さぞかし乗り心地が・・・・。

No title

悪かったでしょうね

京阪神緩行線に残ったクモハ51型など

一番上の写真の運転席側が木枠原型で助士席側がHゴム窓のレイアウトですが、実は、末期は阪和線にいたクハ55806も該当しました。下の2両目のクハ55150台もそうですが、クハ55150台はあまり先頭に立った写真を見ることが無く、先頭に立って走っているのが珍しいと思いました。

緩行線のクモハ51型は、最末期は高槻と明石に2両ずつ残っていました。昭和45年頃まではクモハ54型を含め、かなりの数が緩行線に残っていたのですが、地方線区の17m車の置き換えに大挙転出したため、この時期に一気に減少しました。このため、東の方では飯田線、身延線、大糸線、西の方では福塩線で走っていたので有名だったモハ51系列の車は大半が昭和40年代半ばに京阪神緩行線から転出した車でした。
一方で京阪神緩行線に残った車ですが、高槻電車区では、ガーランドベンチレーターを残していたクモハ51010と、他にクモハ51056、明石電車区ではクモハ50128、038でした。クモハ51010は先頭に立つことが多かったようで、昭和40年代末になって先頭に立っているところがしばしば目撃されています。

クモハ73型全金更新車は、京阪神緩行線の旧型がラッシュ時運用だけになる47-3改正の時に大挙御殿場線に転出しています。
クモハ73型全金更新車は工場ごとに結構個性があります。また、500番台は全て関東、600番台は関東と阪和線にいたので、京阪神緩行線では除外してOKです。写真の車ですが、吹田工場車は前面方向幕はない上に運行窓は楕円形とかなり個性が強く、テールライトも高低2種、前面配管も全露出と全埋め込みがあり、写真の車には該当しません。また、鷹取工場改造車も、方向幕と運行窓は写真の車と同じ配列なのですが、「空気管だけ露出している」という決定的な特徴があるのでこれも対象から外れます。残る工場の車で、方向幕が付いているのは大井工場と幡生工場なのですが、大井工場の車は全て関東にいました。これに対して幡生工場の車は京阪神緩行線にはには後に、可部線に転出する73021,027、御殿場線に転出する73033がいました(他に2両、73013と73277が関東にいました)。写真の車は、車体側のジャンパ栓納めの部分が四角い板の上にジャンパ栓納めが付けられているように見え、この形態は3両のうちではクモハ73027だけなので、この見立てが正しいとすると、写真の車はクモハ73027となります。
クモハ73型全金更新車が工場ごとの細部形態の変化に富んでいたのに対し、500番台は大井工場改造の73504, 515以外は鷹取工場タイプの空気管だけが露出した形態に統一されていました。郡山工場の車はベンチレーター形態が異なる他は鷹取工場に順次、大井工場で改造されたことになっている他の車も、実は鷹取工場に工事が外注されています。
73600台が登場したのは、73500台が改造された昭和41年度(実質的には昭和42年初頭)当時、全金更新をするほどのコストパフォーマンスが見込めないことが見込まれたため、より簡易な工事として、lより新しいモハ72500台を種車として単純jに運転台を取り付ける工事が選択されたものです。前面の屋根
キャンバス押さえが無い車がいるのはこの600番台で、阪和線の619, 621, 623のみが該当します。クモハ73600台は30両が改造されたのですが、実は当
初計画では39両改造の予定で、さらに同様の改造をしたクハ79を10両工事する予定でした。この19両は工事が実施されず、代りにモハ72000台を電装解除したサハ78500台を15両改造し、これを京浜東北線の増結解放運用廃止によって中間に封入されていたクモハ73、クハ79型と差し替えて先頭車を捻出する転用が行われました。

うわー!!

原口さん こんばんは
なんと丁寧な解説、ありがとうございます。
特に73の500、600代についてはぜひ知りたかったのでうれしいです。
ひとつひとつ読ませていただき、勉強させていただきます。
それにしてもお詳しいですね、
また、何かやらかしたらよろしくお願いいたします(笑)
ありがとうございました
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みなさま
本日もご乗車
ありがとうございます!

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