姫路第一機関区
姫路駅へは何度も来ているが、東側のこのあたりへは来るのは実に44年ぶり。
駅は高架になってしまったので、昔の面影など微塵もないはず

コンクリの高架がカーブを描いて本線から離れて行く・・・そういえばつい最近もこんな風景を見た、そう、加古川だ。
こちらは播但線だが、加古川線と同じく踏切も線路間際の家もなくただ整然とコンクリの橋脚がならんでいた

2両の普通がやってきた。昔ならちょうど今時分、C57牽引の636列車が着く頃だ

ショッピングモールから。
端まで行きたいがこれ以上は立ち入り禁止
播但線沿いは本当に何も無い
私がいるこの場所はおそらく

播但線ホームの北側の客車区があった所

振り返って駅側を見ても憶えのある建物は全くない
目の前は工事中。デカイものが建つんだろうな
次の道まで進んだ


右側に本線が見え、ここから弧を描いて播但線がそれていく

ガード下、ふりかえれば

姫路駅を出た播但線の普通列車が線路を軋ませて力行していくところ

そして播但線と本線に挟まれたその先には

その先には


姫路第一機関区
機関区の第一・第二の分け方はいろいろあるが姫路の場合は貨物・支線担当が第一機関区、本線担当が第二だったようだ。
当時本線用の配置などあったのだろうか、もちろん蒸機などとっくになくなっている。区名札「姫一」は見たが「姫二」は見た事がない

このような位置関係なので播但線の列車内からもよく見えた。
通る時は必ず・・・
ガントリー、給水・給炭施設、奥にターンテーブル・扇形庫

もちろん姫路到着直前の山陽本線からも必ず・・・



門デフ11号機をはじめ、赤ナンバーの23号機、側面形式入り34号機・・・
どのC57がいるかはお楽しみ、夢のような時間だった。
初めて来た時はC58もいたのだが、姫新線の無煙化とともに姿を消した。
(ちなみに当時C57は豊岡区、C58は新見・津山区所属)
運用が減ったC11は運がよければ転属、それ以外は休車となっていた

扇形庫にたたずむ2両のC11。柱にかけてある丸い看板には「不可動」と書かれている

庫の端には278号機がいた。同機は私が初めて播但線内で撮ったC11
なので思い入れひとしお

プレートをはずされると通常じかにペンキ書きされるが、わざわざ木の手書きナンバープレートをつけてもらっていた。
機関区の方たちの愛情を感じ
少し報われた気がした
72年3月、新幹線岡山開業
と同時に「姫一」のC11は全滅する

あれだけあった姫路口の蒸機牽引列車は

わずか2往復に
残った2往復はいずれもC57。
しかしその残された貴重なC57に会いにやって来ても

そして半年後の72年10月、播但線完全無煙化
夢の終わり
しかしその直後、東海道・山陽本線をC62が走った
これがおそらく最期になると思った私は当然のようにここへ来た


ターンテーブルに乗るC62
この時、扇形庫にはもう「姫一」の蒸機の姿はなかった


もう帰ろう
ヒメイチ・・・か・・・
駅は高架になってしまったので、昔の面影など微塵もないはず

コンクリの高架がカーブを描いて本線から離れて行く・・・そういえばつい最近もこんな風景を見た、そう、加古川だ。
こちらは播但線だが、加古川線と同じく踏切も線路間際の家もなくただ整然とコンクリの橋脚がならんでいた

2両の普通がやってきた。昔ならちょうど今時分、C57牽引の636列車が着く頃だ

ショッピングモールから。
端まで行きたいがこれ以上は立ち入り禁止
播但線沿いは本当に何も無い
私がいるこの場所はおそらく

播但線ホームの北側の客車区があった所

振り返って駅側を見ても憶えのある建物は全くない
目の前は工事中。デカイものが建つんだろうな
次の道まで進んだ


右側に本線が見え、ここから弧を描いて播但線がそれていく

ガード下、ふりかえれば

姫路駅を出た播但線の普通列車が線路を軋ませて力行していくところ

そして播但線と本線に挟まれたその先には

その先には


姫路第一機関区
機関区の第一・第二の分け方はいろいろあるが姫路の場合は貨物・支線担当が第一機関区、本線担当が第二だったようだ。
当時本線用の配置などあったのだろうか、もちろん蒸機などとっくになくなっている。区名札「姫一」は見たが「姫二」は見た事がない

このような位置関係なので播但線の列車内からもよく見えた。
通る時は必ず・・・
ガントリー、給水・給炭施設、奥にターンテーブル・扇形庫

もちろん姫路到着直前の山陽本線からも必ず・・・



門デフ11号機をはじめ、赤ナンバーの23号機、側面形式入り34号機・・・
どのC57がいるかはお楽しみ、夢のような時間だった。
初めて来た時はC58もいたのだが、姫新線の無煙化とともに姿を消した。
(ちなみに当時C57は豊岡区、C58は新見・津山区所属)
運用が減ったC11は運がよければ転属、それ以外は休車となっていた

扇形庫にたたずむ2両のC11。柱にかけてある丸い看板には「不可動」と書かれている

庫の端には278号機がいた。同機は私が初めて播但線内で撮ったC11
なので思い入れひとしお

プレートをはずされると通常じかにペンキ書きされるが、わざわざ木の手書きナンバープレートをつけてもらっていた。
機関区の方たちの愛情を感じ
少し報われた気がした
72年3月、新幹線岡山開業
と同時に「姫一」のC11は全滅する

あれだけあった姫路口の蒸機牽引列車は

わずか2往復に
残った2往復はいずれもC57。
しかしその残された貴重なC57に会いにやって来ても

そして半年後の72年10月、播但線完全無煙化
夢の終わり
しかしその直後、東海道・山陽本線をC62が走った
これがおそらく最期になると思った私は当然のようにここへ来た


ターンテーブルに乗るC62
この時、扇形庫にはもう「姫一」の蒸機の姿はなかった


もう帰ろう
ヒメイチ・・・か・・・
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