先週、またまた神戸新聞にとある記事が載っていました、神戸駅になんとソレが残ってるそうです。JRはあまり利用しませんが神戸駅の構内はしょっちゅう通っており、幸い(?)その日も行く用事があったのでさっそく見てきました


神戸駅内では撮ったことありますが神戸駅を撮ったのは初めてです

昔は入ってすぐ左に貴賓室みたいなのがありました。中央には小さい噴水か水飲み場みたいなものがあったような気がします。そして一番奥には「みかど食堂」がありました


さて、ホームに上がりソレをさがします
あった!!

マジでありました!
昔はあたりまえについてた琺瑯の駅名看板、いつまであったのでしょう。知らぬ間に新しいのにかわってしまいましたが、私はもちろんはっきり憶えてますし、撮った写真にも小さくですが写ってます。とにかくこれは懐かしいです

左の柱。しかも上には俗に言う「おっぱいベル」が

右の柱。大鉄局神戸駅の荷車がまた・・

神戸新聞の記者さんがJRに聞いたところによると戦前のものではないかとのことだそうです。
しかしこれだけ剥がすのめんどくさいから上から塗っちゃえってことだったのでしょうか
剥がさないならそのまま残してやってもいいと思うのですが










優等列車たちで賑わったころから今まで
ずっとここで見てたんですね
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JRは頻繁に利用していますが、こんな時に限って渋滞の阪神高速から指を加えておりました(泣)
でも最後の画像で琺瑯製と判明し、勝手にS級の鉄道遺産にノミネートさせて頂きま~す♪
今回は叙情派ですね。
神戸駅は私もあまり改札を出たことは無いです。
若い頃はハーバーランドのモザイクとか阪急、ダイエーに行く時に使いましたが、最近はハーバーランドの阪急とかダイエーは三宮に負けずに頑張っているのでしょうか?
神戸駅のミカド食堂は入ったことは無いですが、懐かしいですね。
神戸駅というと1990年前後でも戦前の面影があったのですが、今は変わってしまったのでしょうか?
最後の一枚、クハネ581のJNRマークがグッときますね・・・。
いやあ近くなんですよー
通勤で神戸で乗り降りしてた頃、全く気づかなかったです。
普通電車に乗るのでこのあたりまで行かなかったからかもしれません
それにしてもよく残ってたもんです
しなGさん ハーバーランドの阪急やダイエーはとっくに負けて、もうないです。今はウミへという商業施設になってますが雰囲気は一緒。モザイクはまだあります、ないとつかまります。神戸駅は面影ありますよ、ただし天井と柱、上を向いて歩こう!
神戸駅の位置づけがイマイチわかりません。
機回し用の渡りがあるようなので、昔は発着があったのでしょうか?
官の神戸、民の三宮、そんな感じですかね。
シグさん こんにちは
東海道の終点、山陽本線の起点として昔はそりゃもうにぎわってましたよー、
私が知らない頃は(爆)
神戸には店がなかったので、中心は三ノ宮。始発優等列車(こだま・比叡・銀河など)も消えていき、さびれていきました。なんせ新快速も登場時停まらなかったくらいですから
この103けーや万博号は先週撮ったものですカー?
おれも2、3年前に見たような記憶があります。
はっきり憶えてませんが1か月以上はたってると思います
淡路屋って今構内に店あるけど昔店舗あったっけ、下りホームにあったような・・・ああ、思い出せん〜
肉めしうまかった、黄色いめしで漬けもんのかわりにパイナップル入ってた。毎年、年明けにそごうの新年駅弁大会で買うてもろたんや〜
ニクがうまかったニクがぁぁぁぁぁぁぁ〜
思い出したけど奈良漬け入ってたわ
奈良漬けとパインと一緒に食うたらそりゃもう(爆)
三宮は確か日食で、淡路屋は神戸駅と新神戸駅の営業権を持ってまさしたね。
私の家は子供の頃 特別な時は淡路屋の松風弁当でした。
買うのは名谷の大丸でしたが。
35日ぐらい前の話です。
一回、新神戸で肉めし買った。
あのころのものとは似て非なるアレであった・・・・
黄色いメシの上のほろほろのニク、うまかったなあああああああああ~
ニクがああああああああああああああ~~!
しなGさん ジョイプラ大丸にもあったよん、大人になってからはそこで買ってたわ
初めて買うてもろて食った時「うまいヤキブタやなー」言うておこられたゾー
黄色いメシは「これカレーちゃうやんけー」言うておこられたゾー
当時としてはかなりハイカラな弁当、それ食うてる自分もハイカラな気分がして(どんなんや)とにかくうまかったゾー
最後は奈良漬けで酔うたゾー
はじめまして。古い記事にすみません。この琺瑯の駅名板はたしかに筆文字で古いものですが戦後のものです。仮に戦前のものならば「かうべ」と旧仮名になります。いつ位かは不明ですがおそらく昭和20年代後半頃に、戦災で各駅の施設が荒廃してしまった後、各駅一斉に作成されたものだと推測しています。なおすでに取り外されているみたいです。「その場所」に存在することに歴史的意味があるのにまったく無粋な取り扱いをするものです。寺田町駅のペンキ書き駅名板(こちらも所在地表記があるため戦後製)はその場でそのまま保存されているのとは対照的ですね。
白澤様 こんにちは
実はこの記事が縁で、駅などを研究されてる方と知り合いました
その方が鉄道誌「レイル」No109に駅看板の研究を發表され、私も古い写真をちょこっと掲載していただきました
それにはいろいろ考証の結果、昭和21ー29年の間に設置と書かれてますので、白澤さんのご推察どおりですね
なお、取り外した看板は駅長室に保管されているようです
鉄道好きですが、歴史的なことはほとんど知りませんので(笑)いろいろ教えていただくとうれしいです
またなにかありましたらよろしくお願いいたします
ご丁寧なコメントありがとうございました