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70年頃の阪急京都線梅田地上駅

国鉄(JRともいう)大阪駅北側の巨大ターミナル阪急梅田駅
半世紀前は国鉄をくぐった南の地上にあった
私が初めて阪急梅田駅に降り立ったのは70年だと思うが、神戸線と宝塚線はすでに現在の駅に移っており、京都線のみが地上に残っていた
当時の私がそんな風景をマメに記録するはずなく
そこに電車がいたから♪
の写真しかない


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でもなぜかこんなのを撮っていた

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神戸線・宝塚線、三番街はまっすぐススメ
百貨店が左なのでここは国鉄より南であることがわかる
見えにくいがその下に京都線の切符売り場は回れ右して戻れの表示がある

京都線の駅で撮ってはいるものの、なさけないことにほとんど覚えてない

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3300トップナンバー編成の急行が2号線に到着
すぐそこに国鉄のガードが見えている
それにしてもかなり危ない位置で撮っとる
今なら「危険!! 迷惑撮り鉄」とかで晒されるかもね

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三宮も似たようなドーム屋根で昔は外側にホームがあり、ちょうどこんな感じやったのう

ん? おおっ!!

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日本を代表する海産物一家やないか(爆)
西洋ファミリーよりやっぱこっちだな、なごむわぁ~

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3号線にエキスポ準急が到着

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これだけ英表記が入った看板はめずらしい よね

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3号線は万博・北千里行きで2号線は急行専用となっている
この時代、京都行きの普通は基本十三の7号線発着だった
急行の停車駅をみると、現在の特急停車駅とほぼ同じだ
この頃の特急はみなさんご存知のとおり十三から京都の大宮までノンストップ・・・特急なんだから、それくらいしてほしい・・・
万博期間なので天井から旗がぶら下がってるが普段は鉄骨のみで、2号線と3号線をドーム状で覆っている
乗り場が異様に広いのは万博対策で1線分を梅田埋めたらしい

で、1号線はというと

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コンクリの柱でまるで別の駅に見えるが昔のターミナルらしき風格はあった

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1号線の先端は暗い、それゆえ露出を失敗しており、無理やり明るくするとネガのカビが目立ってしまい見苦しい
なんとか直したが、足元は手に負えず真っ黒け(爆)

でもこれ、好きな画像なんだよな~

京都線の特急2枚看板と急行の左看板(3枚目写真参照)は宝塚線と線路共用した時代の見分けのためと言われている
75年頃では急行は正規の右側になっていたが2800の特急2枚看板は引退まで継続、有名になったので今更やめられへんがな〜といったところか


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国鉄をくぐって現在の高さまで登っていく急行、左が現梅田駅

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梅田駅拡張第三期工事と書かれている
第三期は京都線の工事だが2線のみ
完成後、京都線が移転して地上駅は役目を終えた
そして第四期で1線を加えて新梅田駅完成
同時に京都行き普通も梅田まで来るようになった

この写真、見えにくいが
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登りきったところにシーサスがある

鉄ピクに梅田を出た千里方面行きが逆走してこれを渡ってる写真が出ていた
Wikiには万博終了後3号線を閉鎖ってかいてあるし、いったいどうなってたのだろう 謎だ

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ホームで撮った後は2800の特急で十三まで出て、神戸線に乗り換えたようだ



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       たしか前にもこんなんやってたよな
                   やってたわ、ボケてるのよ
    わっはっはっは



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続 EXPO'70

期間中6400万人が訪れたと言われるEXPO’70
もちろんクルマやバスで来た人も多いだろう

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当時のバスはケツが丸っこいな
左側の車列は駐車場待ちかと思ったが、拡大しても人影が見えない
これ、路駐だわ 

でもほとんどの人は鉄道利用だろう

国鉄は茨木駅に快速を停め(以後定着)

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関西はもちろん、全国から多くの臨時列車を運転

阪急は京都線に南茨木駅を新設した
南茨木駅というのは

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この駅のひとつ京都寄りで

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ここを進んだ先にある

画像無いなら無いでええやろ、阪急ヲタか(爆)


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そして期間中のみ千里線に万博西口駅↑を仮設
この西口駅と北大阪急行の万博中央口駅が至近の鉄道駅となる

万博中央口駅は市営地下鉄御堂筋線から中国自動車道の一部を借りて延伸したもので、閉幕の翌日に廃止された
新大阪を通るため東海道(山陽はまだない)新幹線での来阪客はほぼこれを使ったと思われる

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万博中央口駅
手前の線路は引き上げ線

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引き上げ線で待機中

今気づいたが後ろのパビリオンは銅鐸のイメージなのか!!
しつこいっ(爆)

あ、そうそう

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またイモムシ見っけ(爆)フジパンの看板がある
奥のきのこの下で生まれてはじめてアメリカンドックなるものを食って感動したことを覚えている


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中央口駅の上から

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あの人たちはどっからどこへ?
とにかくどこも人だらけ・・・

そこで、前回のきっぷ

その裏面にはこのように書かれていた

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どこで70円払うのかがようわからんが、シグ鉄氏が言うように少しでも混雑を回避しようとした措置だったのだ
一番驚いたのはこの「梅田駅」は阪神の梅田でもよいということ
そういえば「阪急梅田駅」とは書かれてない
北今津さんによると阪神からの切符もあり、それにもなにやらそんな手順が書かれていたそうだ

しかし70年当時の70円は高いな、しかも北大阪急行ってほぼ阪急なのでは・・・いや、あくまで混雑を回避するという目的で各鉄道が手をとったわけで・・・すばらしい
そんなこと全然知らんかったなぁ

大阪万博かぁ・・・
月の石、見られへんかったけど
とにかく懐かしいな

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EXPO'70

山陽電鉄発行の万博往復切符、往復の乗車券をちぎった残りだ
懐かしいなぁと見ていて今頃気づいた
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「赤線区間をご乗車ください」は当然阪急の十三経由となる
ところが、その下 
梅田は黒線なのに「梅田駅 乗車票」というのがある
これ、何やろ?

万博へ何回行ったっけ、たしか中学からも1回行った
ネガはあるけど、写真を見返したことがない(行った人のほとんどがそうだと思う)
ちょっとスキャンしてみよう

学校からの国鉄72系以外はすべて阪急で行ったが「エキスポ直通」に乗ったのは1度だけ、乗り換えなしは便利だが遅かったのだ
特急に抜かれるわ、十三折り返しで時間食うわ、ようさん停まるわ・・・

どうでもええことやけどネットにはたいがい「神戸方面のエキスポ直通は高速神戸発」と書かれている

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それどころか、私が乗った時は臨時に延長された西代発で西代から一番前にかぶりついたと思うのだが、その時の写真を撮ってないので証明できない
くそっ、俺のアホー

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                   アホや   アホですわね 
                わははははははー

おまえらに言われたないわー(爆)

というわけで万博会場へ
いつ行ってもアホみたいに混んでいた

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えーと、たしか、ソ連館だっけ・・・
ソ連とアメリカは特にひどくて数時間待ち
それにしてもこの人人人
雨なら空いとるやろと行ったこともあったが、一緒だった
日本全国からどっと来るので晴れでも雨でも関係ない
81年の神戸ポートピア博覧会は雨だとガラガラだったが(爆)

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今気づいた、コレ銅鐸のイメージか?

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戦闘機 じゃなくてクラウス撮っとけよ!!

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あったあった、こんな芋虫みたいなパビリオン
入る気せんかった(爆)

着物のバァちゃん、子供を背負ったかーちゃん
タバコはもちろん吸い放題 昭和やなぁ

とまぁこんなの並べてもだれも興味ないと思うので乗り物を・・・

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どこからどこまでだったか覚えてないがロープウェー
中からよく見えそうだが夏は地獄だろう
でも昔の夏ってせいぜい32~3度止まりじゃなかったっけ

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まぁなんといっても会場内の移動は

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モノレール
1~2回乗った記憶があるが、タダ(やったと思う)
そのためか乗るのに長蛇の列だった

このモノレールについて調べてみたら
運行管理は東急で万博終了後は東急沿線に転用する計画だったそうだが頓挫したそうだ

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なかなかオシャレ、今見てもかっこいいと思う


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とにかく毎日毎日激混みの万博
この人たちを輸送する現場は、さぞ大変だったことだろうな
というわけで

つづく

はぁ? 冒頭の答えはー(爆)


発見!!

その1

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京阪東山三条駅
手前は京都市電、ここで平面交差してます

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路面をゆく準急電車
この時は市電末期の葬式鉄だった
スキャンしながら、京阪もちゃんと撮っておけば・・・と後悔

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当時の街並みも撮っておけばよかったなぁ
どんな店があったんだろう  

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こ、これは、
模型誌の広告でよく見た名前やないか!!
そーか、こんなところにあったんかーー

発見した時、何でかわからんけどうれしかった(爆)


その2

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鉄とは関係ないですがこの鳥知ってますか
そう、カワセミです
息子のこの写真見て
こんなもんがおるんか、これだけはぜひ見たい!! 
と思いました
でも山奥まで行くのは嫌、ってかよう行かんし・・・
ところがこいつは案外まちの中でも見られるそうです
野鳥界では見た場所を言うなとの暗黙ルールがあるそうなので言いませんが
山陽の特急に乗り、タコ焼きで有名な停車駅で下車、10分ほど歩いて池に行くと
なんとすぐに発見!!(爆)

写真も撮れましたー
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今日なぁ、カワセミみたぞ!!  ほれっ、これやっ

自慢げな私に息子はだまって写真を差し出した

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えげつなー(爆)



その3

いつも当ブログを見てくださってるシグ鉄氏が去年、赤沢森林鉄道へ行かれた

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シグ鉄氏ブログから無断転載
記事はこちら→

そこにはなんと懐かしいやつが・・・
赤沢には木曽森林鉄道の車両が保存してあり、この1号機関車もそのひとつ
2015年に100歳になられたそうで、100の記念プレートがおいてある
この機関車は上松のヤードの小屋に保存されていたもので、最終列車の先頭を飾った(ただし自力走行はすでに不可)
私が行った73年は小屋(おそらく保存用)に大切にしまわれており、近くにいた職員さんにお願いして戸をあけてもらった

ぎいぃ~っ

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でたっ!! カワイ~

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すぐとなりの中央西線にはD51がボカスカ走っていた時代なのであまりにもかわいく見えた
でも現役時代はモクモクと木材をはこび続けてきたのだ、この小さなカラダで・・・

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BWのバエる銘板、見た人はおそらくアップで撮られたのではないだろうか

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1929生まれ、ホンマじいさんやのぅ

まてよ 1929年

まだ94歳やないかー(爆)



実はこの機関車は1号機ではなく、もと2号機
終戦後、林鉄で使える機関車を整理した際に2→1になったとのこと
もと2号機の生まれは1915年ですので2015年に100歳を迎えたことは間違いないようです
では、この銘板はなんぞや?
製造番号60874は整理後に10号機となった、もと18号機(ややこし)
10号機の廃車時にうけついだのでしょうかね



その4

以前にも紹介したが奈良機関区所属のD51のデフには末期にマークを入れたものがあった

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有名な882の月と鹿、72年貴生川にて
奈良なので鹿(たぶん)
洗練されたいいデザインだと思った

882とは翌年、伊賀上野でも会った

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駅名がええ味出しとる

あれ?

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月の向き、違ってね?

この882号機は保存されているらしい
月と鹿はこのスタイルのようだ


その5

ユーチューブには引退した山陽ツートンの動画がたくさんある
あれだけ撮りに行ったんだから、自分が写っとるやつ1コぐらいあるやろ
と思って見てたら、ありました

その時あたしが撮った写真はコレ↓です

230705Hks16.jpg


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バカ発見!!(爆)




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