特急【つばめ】(581・583時代)
もう18年も前の話になるが九州新幹線が部分開業した時、前回の「かもめ」と同じように地べた在来線を走る特急「つばめ」が消えた
昔から日本を代表する特急列車だ・・・その生い立ちを調べてみた
(正確に知りたい方はちゃんと調べてね)
「つばめ」は戦前から豪華展望車をつけ、つばめガールを乗せて東海道を走っていた

そう、こんな感じの列車だったのだ

実に楽しそうだ(爆)
なお、この時撮った写真はASAの設定を間違えており、非常にきたない
美人のつばめガールをアップにしたかったけどこれが限度です、すんません

ちなみにこの時の展示記念券
あと10日で国鉄が終わるという日、持ってる中で「日本国有鉄道・大阪鉄道管理局」が入った最期の記念券なのだが
今見たらまるでお化け屋敷みたいな文字だな(爆)

昭和のはじめ、この神戸から「つばめ」は巣立った
そうそう、「つばめ」といえば

この機関車ははずせないでしょ

ダントツの人気でしたな
東加古川狂奏曲→
姫路発車編→
戦争で運転は中止となり、戦後復活
電化が進み青大将(上のマイテも青大将の一員だったようだ)から151系へ、豪華設備はパーラーカーへ引き継がれたが東海道新幹線開業で活動の舞台は西へ移る
新大阪発だが、なんと博多行!!
151系は直流電車、交流の九州へ入るために下関から機関車牽引となる
さらにこの編成はセノハチでも電気機関車の補機が必要だったそうだ
なんでそこまでして・・・
やがて481系が投入され、どちらの問題も解消
上記の措置はそれまでの暫定的なものだった
481系の投入により、運転区間が熊本~名古屋間になる
・・・って、なんで名古屋? 新大阪まで新幹線があるのに・・・
新幹線人気による着席問題があったのか?
そして寝台特急「金星」と運用を組むため581・583系に置き換わる
私がよく知ってる特急「つばめ」はその頃だ
もっとガキの頃、481も見た記憶はあるが・・・



神戸に着いた上り列車
自由席車はデッキまで満員、いつも混んでた
そんな「つばめ」は新幹線岡山開業で岡山始発となり、関西から姿を消す
そして博多開業で役目を終え、2度目の廃止となる
平成4年、特急「つばめ」は九州でまるで外車のようなおしゃれな車両で復活
そして九州新幹線開業時に名前をわたし在来線特急「つばめ」は消えた
以下、ちょっと興味がある方はお読みください
昭和5年、東京~神戸間に設定された超特急「燕(漢字でもひらがなでもよいらしい)」
停車駅は横浜・名古屋・京都・大阪・三ノ宮
途中、下りは国府津(箱根越え)と大垣(関ヶ原越え)で補機連結のため運転停車する、国府津は30秒!!
名古屋で牽引機が交代する
東京ー名古屋間無給水では機関車の水が足りなくなるため、次位に水槽車を連結した
大阪ではなく神戸発着となったのは当時明石に客車区があったためどうせ通るから(宮原はまだなかった)
なお、当初の案では東京ー大阪間の運転で、名古屋以外はノンストップ、走りながら補機を連結・開放(爆)という徹底的に所用時分短縮にこだわったものだったらしい
それが、後の新幹線へとつながっていったのだろうな
でも、そんな苦労より、
P-6に抜かれた話の方が有名だったりする
下りは12時、上りは17時とキリがいい時間だったのでよく覚えている
この時刻になれば、今でもふと思い出すことがある

お、5時か、
「つばめ」の時間だ
昔から日本を代表する特急列車だ・・・その生い立ちを調べてみた
(正確に知りたい方はちゃんと調べてね)
「つばめ」は戦前から豪華展望車をつけ、つばめガールを乗せて東海道を走っていた

そう、こんな感じの列車だったのだ

実に楽しそうだ(爆)
なお、この時撮った写真はASAの設定を間違えており、非常にきたない
美人のつばめガールをアップにしたかったけどこれが限度です、すんません

ちなみにこの時の展示記念券
あと10日で国鉄が終わるという日、持ってる中で「日本国有鉄道・大阪鉄道管理局」が入った最期の記念券なのだが
今見たらまるでお化け屋敷みたいな文字だな(爆)

昭和のはじめ、この神戸から「つばめ」は巣立った
そうそう、「つばめ」といえば

この機関車ははずせないでしょ

ダントツの人気でしたな
東加古川狂奏曲→
姫路発車編→
戦争で運転は中止となり、戦後復活
電化が進み青大将(上のマイテも青大将の一員だったようだ)から151系へ、豪華設備はパーラーカーへ引き継がれたが東海道新幹線開業で活動の舞台は西へ移る
新大阪発だが、なんと博多行!!
151系は直流電車、交流の九州へ入るために下関から機関車牽引となる
さらにこの編成はセノハチでも電気機関車の補機が必要だったそうだ
なんでそこまでして・・・
やがて481系が投入され、どちらの問題も解消
上記の措置はそれまでの暫定的なものだった
481系の投入により、運転区間が熊本~名古屋間になる
・・・って、なんで名古屋? 新大阪まで新幹線があるのに・・・
新幹線人気による着席問題があったのか?
そして寝台特急「金星」と運用を組むため581・583系に置き換わる
私がよく知ってる特急「つばめ」はその頃だ
もっとガキの頃、481も見た記憶はあるが・・・



神戸に着いた上り列車
自由席車はデッキまで満員、いつも混んでた
そんな「つばめ」は新幹線岡山開業で岡山始発となり、関西から姿を消す
そして博多開業で役目を終え、2度目の廃止となる
平成4年、特急「つばめ」は九州でまるで外車のようなおしゃれな車両で復活
そして九州新幹線開業時に名前をわたし在来線特急「つばめ」は消えた
以下、ちょっと興味がある方はお読みください
昭和5年、東京~神戸間に設定された超特急「燕(漢字でもひらがなでもよいらしい)」
停車駅は横浜・名古屋・京都・大阪・三ノ宮
途中、下りは国府津(箱根越え)と大垣(関ヶ原越え)で補機連結のため運転停車する、国府津は30秒!!
名古屋で牽引機が交代する
東京ー名古屋間無給水では機関車の水が足りなくなるため、次位に水槽車を連結した
大阪ではなく神戸発着となったのは当時明石に客車区があったためどうせ通るから(宮原はまだなかった)
なお、当初の案では東京ー大阪間の運転で、名古屋以外はノンストップ、走りながら補機を連結・開放(爆)という徹底的に所用時分短縮にこだわったものだったらしい
それが、後の新幹線へとつながっていったのだろうな
でも、そんな苦労より、
P-6に抜かれた話の方が有名だったりする
下りは12時、上りは17時とキリがいい時間だったのでよく覚えている
この時刻になれば、今でもふと思い出すことがある

お、5時か、
「つばめ」の時間だ
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