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神戸電鉄へ行ってみました

ワタシにとって神戸電鉄(以下神鉄)はかなり身近な存在なのですが、300形クロスシートで有馬に行ったこと、昔の始発駅湊川の薄暗いホームもかすかに記憶があるものの、年に1~2回、墓参りに「鵯越(ひよどりごえ)駅」まで乗る程度でした。
鵯越駅は神戸高速鉄道の新開地から4駅目ですが、山の中の小駅です。

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実はワタシは神鉄があまり好きではありませんでした。速度が遅い、車内が古臭い、最近の派手な塗装、そしてなにより車輛が全部同じに見える・・・しかし、ソレ阪急もやないかぁぁー!! と言われたら「どこが同じやねん」と言えるように、神鉄にもそのような方がおられるわけで、要するに神鉄ファンの方、スミマセン。
そのような理由で、撮影にも行っておらず、クルマで通りかかったついでとかに、ほんの何枚かの写真しか撮ってませんでした。最近では一部路線で存続の危機にたたされている神鉄。気にはなってました。
ほとんど知識がないので、とりあえずモハメイドペーパーさんのブログ(→こちら、勝手にリンクすみません!!)で下調べして、天気がよかった先週の土曜日、ちょっと行ってみました

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始発駅新開地には3000系が停まってました。第一編成が廃車になった記事を見てたので撮っとこハム太郎ー。
なんかハゲハゲでちょっとかわいそーです。ちなみにワンマンなので、車掌さんに見えるのは運転士さん、電車は手前に発車していきます。

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ワタシが乗るのはこれ、VVVFの5000系です。
車内は・・・
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阪急7000系!!! ガッラガラで撮りほーだい
これに乗って鵯越へ

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現在の鵯越駅です
昔はトンネル出るとすぐホームでしたが、移動してます
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この駅の俯瞰はよく趣味誌で見かけるのでやめようかと思いましたが、せっかくなのではぁはぁ言って登りました。
トンネルの真上、バス停よこからです
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一段低い所から。先頭は両運車です

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駅に戻りました。

ホームからどちら向きでも絵になります。なのでここからの写真もよく趣味誌で見かけます。
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トンネル(新開地方面)側

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ワタシの乗る電車がきました。どちらを向いても「きました」というより「登ってきました」「降りてきました」という表現の方がしっくりきます
最後尾は1076、これも両運車です。
これに乗った瞬間、ワタシは孤独のグルメのおっさんに変わっていました
「やばっ、この車輛なんだぁ? クモニか? 両開き3扉で扉間に小さい窓がふたつ、そうか、道理で少し暗いはずだ」
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「運転席の後ろは座席がない、車いすスペースか、なるほど。それにしてもこの色といい、こうして眺める運転台といい、うーん、なんかナツカシーものがこみあげてくる」
しんてつ、いいぞー

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窓の外はグランドキャニオン!!
この3枚を撮って、にこにこしながら車内撮ろうとしたら、なぜか注目あびてて撮れませんでした・・・
きわめつけは停車音。停まる寸前にダラララ・・ああ表現むつかしす! 
それが鋳鉄シューならではの音なのかはわかりませんが、とにかく吊りかけ車ではないのに吊りかけ旧型車の停車音です
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音の主1076。窓の感じわかりますか?

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降りたのは2駅戻った長田駅。
ここからしばらくは細い道が線路にぴったりとくっつき、これまたよく趣味誌で見る場所です

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奥が長田駅。急行がきました

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後追い

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手前は先ほど通った線路。半円形にぐいーんとカーブして坂を下ります。工事中の建物の右にちょいと先ほどの電車が見え、画面左端には神戸港が見えてます。それにしても急勾配、それもそのはず
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いたるところに50/1000が存在します。

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ちょっと前面赤の前掛けがしつこい気もしますが、なかなかいい顔です。
・・・そういえば何か変だと思ったらワタシの知ってるくどーい塗装から変わってます。前はドアとその上ヤマ形に真っ赤っかだったのに、すっきりしてますやん。2扉が多いのもポイント高いです。

しんてつ、いいぞー

青葉が繁るころにはきれいでしょうなあ・・・
桜ならなおよし
こんど世田谷高級犬が来たら、ここへ案内しようかな。

て、このおっさん もーー来とるしっ!!!
ここほれ→


さらに乗りまくっとるしっ!!!
ここほれ→

つづく
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阪神三宮駅の配線変更(2012年6月)

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大阪側を見ています。
現在では中央に折返しの2番線(白いおっさんのところ)をもつ阪神三宮駅(正しくは阪神神戸三宮駅・・くどっ!)。
しかし、少し前まで当駅折返しは3番線でした。つまり2番線と3番線が入れ替わったのです。
それはこういうことでございます
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かつて折返し3番線は、あのN特も使用しておりました。
現在折返しは主に奈良行の阪神・近鉄が使用してますが、昔のままだと1番線の梅田行きから3番線の奈良行きに乗り換えるにはいったん階段を上下する必要があり不便です。そこで折返し線をまん中にもってくることになったのです。
ワタシは昔の写真は撮ってない(え、今どこかから「ナニィー!!」という声が聞こえた気が・・)のですが、この配線変更工事中(2012年3月、5月)には少し記録してました。

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駅の表示には2番線「高速神戸」3番線「奈良」となってます。
床下では新3番線を設置中のため、仮の床をべこべこ言わせて歩きます

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上と同場所。さらに工事が進んだ頃は、この付近のホームは使用中止。西階段を降りるとかなり歩くことに。
昔のホームがただの通路になっております。
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この正面に折返し3番線があります。

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昔は3番線の右側に降車ホームもありましたが、すでに壁まで寄せられてます。
折り返し「奈良」行の近鉄車。これが尻とかいうやつでっしゃろか?

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近鉄長ーーっ! この駅で19mを見慣れた目にはそう感じます。
ワタシの足下に黄色タイルをはがしたあとがありますね、
それがもとの3番線用で、この時すでに左の壁に寄せられてることがわかります(現在の3番線の位置)
ワタシが知る限り、柱と天井は昔のままのようで、風格もあります。
立派ですなー

なお天井は新駅でも活かされてます。
これが現在↓
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柱はきれいにされ、照明も明るいです。

つづいて2番線
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神戸側へ直線でスッコーンと抜けてた2番線。
これが現在↓
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折返し専用の行き止まり

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駅改装と同時に東口が出来ます。大阪側のホームは工事中
これが現在↓
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現在の東口エスカレーター付近

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便利になったことは間違いなく、明るい駅は気持ちがいいものです。
「昔ガー」のワタシも、やはりいいものはいいとみとめないといけません。
と、わかってるのですが、正直まだなじめません・・・
ただ新駅ではカーブしながら出発しますので、ジェットカーが直線の2番線を
フル加速で発車するシーンが見られなくなったのだけはちょっと残念ですかね

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もやもやクエスト

江戸の方では「もやもや歩き」という風流なブログが流行っているようです。
「ぶらっと出掛けて気ままに写真を」という感じですが、これがまた皆さん、様になってカッコいいのです。

これはやらないわけにはいきません。(←なんでやねん!)

このようなツッコミがないからカッコいいのかもしれません。

とりあえず出掛けてみました。

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山陽の月見山です。(←またかっ!)
どこ行っていいかわからないのでどーしてもこのへんに来てしまいます。
いやぁーここ昔から変わらんです。
しかし、
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勾配の数値はよく変わってます。なぜなんでしょう

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わりと好きな9300系が来ました。
わーい!

・・・これじゃいつもの行動と同じです。

今日は「もやもや歩き」に来たのです。
しかし線路端バカのワタシにはナニを撮っていいのか・・・
そこでこんなものを用意してきました
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これには撮ればそれらしくなるポイントをひかえてあります。
えーなになに、まずは昭和のアパート・・・

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ちょっとインパクトに欠けるけど、こんなんかな。
でもひとんち撮るのは勇気がいります。住人が出て来たら気まずいです
江戸なら「やぁ、どうかしたかい?」とか言うのでしょうが、「コラおっさん! ナニ勝手に撮っとんじゃワレ」となったらこわいです。幸いここはもう誰も住んでいないようでした。

つぎは八百屋さんですが、店のまん中にちょっとこわい感じのおっちゃんがいて、こっちを見てたので撮る勇気がありませんでした。

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ああ懐かしき青春の思い出 モエモエします

「ネコはいねぇがー」と言いつつ路地を歩き、chitetsuさんが「気になる」と言われた天神橋につきました。

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すぐ横に須磨の天神さんがあるのでこの名です。

この橋ワタシが産まれる前からあったようです。
あんまりマジマジと眺めたことがなかったですが、こうして見るとなかなか立派な橋です
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ああ、なんとなくスベリ台にも見えなくはない・・・

そしてここを抜けると・・
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昔はパラダイスでした
(197Xのパラダイスはこちらでーす)

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数々の楽しい思い出・・・

しかし今は、
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金網地獄!!
先日ネットを見てましたら「アーバン金網」と書いてる人がおられました。おそらく「アーバンネットワーク」のことでしょうが、うまいこと言うなぁと感心しました

昔は須磨―鷹取のスマ・・でしたが新駅、須磨海浜公園が出来たのでスマスマです。
年末に、にゃんにゃんさんと来たばかりですが、今日はここから須磨方面に行ってみます
ここから東の現在の姿はここほれ→

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マンションがあり、山は半分しか見えませんが、いつもの景色です
この場所でつまさき立ちすれば長めのレンズでギリギリ柵を切れるかも・・・
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足つりそうです、寝てるのに足つって目がさめる年寄りにはきついです
もう背景の山まで入れるのは無理みたいですね
しかし「はまかぜ」も変わったもんですなー

どこまで行っても金網地獄。あきらめて山陽電車の方に坂道を求めて歩きます

えーーここ、こんなんやったっけー
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変わりすぎやろー

細い坂道を「ネコはいねぇがー」と足つりそうになって進みます

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ここの道を抜けた先
好きなんですよー

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昔、ここでこれを撮りましたー
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山陽須磨駅にはこんなトンネルが2本あります

須磨駅に出ました。もう帰ろうかな・・・ 
と、ここで時計を見るとなんと和田岬103けーの鉄路回送の時間!!
間に合うかなと路地を小走りでJRの線路へ、
その途中、

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あ゛あ゛あ゛ーー  とりあえず一網打尽

線路端についたらやっぱり金網地獄、
カーブをまがってくる103けーの姿が見えました
仕方なくコンデジの細いレンズさえも入らない隙間から

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まるで「のぞき」写真です

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あーあ、めっちゃ
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やっぱり「もやもや歩き」は関西人には無理なようですなー
またやろっと(!?)

それにしてもおそるべしアーバン網仕事!!
ワタシらの青春時代は「すべては自己責任」と言われた時代。
鉄道各社にとって安全を守るには当然のことであるとはいえ、
今、青春真っただ中の「鉄」にとってはやりにくいでしょうね

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山陽850形さよなら運転

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1983年10月、山陽850形のさよなら運転がありました。
850形は820形の増備車なのですが、モーター出力の増強・電制装備となったため850形に飛びました。もとは前面非貫通のクロスシート車で特急運用が主だったのですが新造車にその座をゆずり、前面貫通化、ロングシート化=普通運用というおきまりコースで余生を送っておりました。
この電車、表示幕化されるまでの姿はすごく好きだったのですが、どうもこの幕装置が似合ってなく、あまり写真も撮ってませんでした。

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いつもの月見山で、新開地発須磨行の短距離普通。820形が前面3枚ともHゴムなのに対して850形は車掌側はさわられてないようです。70年頃はまだ2両編成

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270形をつけて3両編成の820形。820形と850形ではアンチクライマーの有無も外観の特徴なのですが、この827にはありません。それは、西代車庫で火災にあい、850形の車体を新造してのせたからだそうです。なお今回の主役854-855も同時に燃え、やはり新造してのせかえたとのことです

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舞子公園にて822。今や特急停車駅

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同じく822、東二見にて。アンチクライマーが残ってます

さて、
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懐かし色の特急通過後、いよいよ発車。
ここ東須磨から東へ一直線にのびる線路が懐かしいです。
現在は、やや右方向に進み、地下へ入ります

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神戸側Mcの854。手すり撤去、シルで縛られ乗務員ドアが開かないようになってます。どM扱いですね。

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855-854-288という編成です。いっちゃいました・・・

さて、この後ワタシは停めてあったクルマに走り、須磨浦方面へすっとばした記憶があるのですが、このさよなら運転、1度ではなかったかも・・・
ちょっと
モーロクしてます

ここからは別の日かも知れませんが、これが本当の最後です。
海沿いで「関西のエノデン区間」と、誰も呼ばない須磨浦公園~塩屋。
颯爽と走るロマンスカー時代をワタシは知りませんが、
ここの風景なら昔も今もあまり変わらないのでは・・・と、他の場所は考えませんでした。

ところが着いたらなんと駐車の列!! ここに停める人は国鉄撮影か釣り人か、
海辺にロマンを求めるお二人連れです。
もやもやします!
もう少しで線路と道路の高低差があまりないバッチグーでナイスなポイントなのにたどりつけません。
仕方なく降りてそちらへ走り出したらタイムアウト、
来てモタがなーー

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ああ、足回りの柵が、制限50がうるさい

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他は山なのに、なんでここだけ線路向こうにこんなもんあるんやぁぁ!!

でも
窓あけて潮風うけて・・これがこの区間の楽しさ、

車内の現在40オーバーのおっさんら、憶えてるかーっ!!!


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秋空の晴天に映えるツートン。
吊り掛けサウンド全開です

さよならー ありがとー 


やっぱ、山陽はこの色やろーーー!!!

阪神大震災 消えた鉄路

阪神大震災は、各鉄道に多大なる被害をおよぼしましたが、すべて復旧しました。しかし、その復旧過程で廃線になった所があります。それは山陽電鉄の東須磨―西代の地上区間です。もともとここは、地下化されるべく工事が進んでおり、春の完成まであと一歩というところでした。
当然、この区間も被害をうけましたが、山陽がとった復旧方法は、地上区間をあきらめ、地下線で復旧するというものでした。ゆえにこの区間は震災当日に廃線となり、私はその前日に乗ったのが、なんの前ぶれもなく突然やってきた「さよなら乗車」となってしまいました。
そろそろこの区間をちゃんと記録しておこうと考えてた矢先の震災・・・

地震から2ヶ月後の3月26日、やはりバカチョンを持ってこの区間を歩いてみました。

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東須磨駅です。右側2線が従来の上下線、左側の単線は新線です。
この時点では板宿まで開通(3月24日)しており、単線で乗り入れのためタブレットを使用してたようです。
さらに次駅の西代は新線も被害を受け、6月18日の開通まで待たなければなりませんでした
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現在の東須磨駅。地下入り口が見えてます
下の写真はこの入り口の左あたりで撮ったものです
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東須磨―板宿間を行く3000形
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これは現在の同地点。跡地は道路になってます

板宿手前から東須磨方面を見たところ
よく見ると
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線路はへろへろです
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現在の同地点

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板宿駅を西側から見たところ
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現在の同地点。当時のビルがあるので分りやすいです

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板宿駅の東側、踏切から
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現在の同地点、やはり当時からあるビルが目印に。
かなり広い道路になってます。この地下に山陽板宿駅があり、その下を直角に市営地下鉄が交差してます

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山側改札

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この階段、何度通ったことだろう

ここから西代にかけて線路跡は幅広の道路になってます

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全く面影ないですね・・・
道のつきあたりに赤い道路橋が見えたら西代、もともとは山陽を乗り越すために造られた道路橋です
例の四角5100はここで撮ったものです
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現在の同地点。雰囲気が残ってます。このカーブを曲がったところに西代駅がありました

今でも急カーブを行く電車の軋み音がきこえてきそうです

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本線は分岐してカーブ、まっすぐ手前にのびる線の先には西代車庫がありました。しかし78年に車庫はなくなってます。

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駅を過ぎると地下入り口が見えてきます

もうここを電車が走ることはありません

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地震の半月前に発行された山陽の広報紙1月号には
「1995年、飛翔の年」の文字とほぼ完成した板宿駅の写真。
そして、地下線の説明が記されてます。

祝賀ムードもなにもない地下開業でした
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感動をくれた鉄道復興

6400人以上の命を奪った阪神・淡路大震災。
あれからまもなく20年になります。
目を疑う光景の連続でした。そんな中、各鉄道は懸命に復旧にあたってました。その復旧プロセスは鉄道趣味人にとって非常に興味深く、「そんなことまでして走らせるのか」という驚きばかりでしたが、記録はしてません。震災直後はカメラを持つことにすごく罪悪感を覚えたからです。
ですから、「撮っておけば・・」の後悔もさほどありません。

当時、私は須磨で暮らしてましたが、水もガスも出ないので塩屋の奥にある実家に疎開、そこから神戸にある仕事場まで原付で通いました。電車が神戸まで開通したので塩屋から電車通勤に、そのルートはこのあたりを知ってる鉄なら驚くべきものでした。以下は須磨―兵庫間のルート図です。いちおう説明文も添えます。なお新長田は駅が崩落してるので通過扱いです

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【上り神戸方面行き】
須磨を出て天神橋をくぐるまでは通常の速度です。その先で速度を落とし、ポイントで下り列車線、そして上り列車線へ転線し、鷹取のヤード最北の仮設ホームへ。ここは普段貨物や新快速がとばして通過する線です。
鷹取を出ると徐行しながら今度は下りの列車線へ転線。逆走しながら新長田で電車線ガードをくぐります。そのまま進み、兵庫手前で下り電車線、上り電車線と転線して兵庫駅ホームへ入ります。
【下り明石方面行き】
兵庫駅を出ると減速し、下り列車線に転線したあと鷹取と兵庫を結ぶ回送線に転線。普段は和田岬線用と川重からの新車を回送する線で急遽電化したそうです。ただ線路状態が悪く、ロングレールでもないので左右に揺れ、徐行のまま進みます。地方鉄道に入線した元大手私鉄の空気バネ車輛の乗り心地といった方が皆さんには分かりやすいかもしれません。やはり新長田で電車線ガードをくぐり山側へ。そして下り列車線に転線。そのまま鷹取駅へ。鷹取では上り電車線の上に板張りの仮設ホームを作ってます。鷹取を出ると上り電車線、下り電車線に転線。ここから西は上下とも電車線しか使ってませんでした。

走れる所をつなぎ、まるで綱渡りです。仮設ホームをつくり、回送線を電化までして電車を走らせたJRにはほんとに頭が下がる思いでした。

1ヶ月たち、ようやく水が出たので、私も疎開先の実家から家に戻り、鷹取駅から通勤する生活に戻りました。その際、一度だけ小型のバカチョンカメラを持って出かけました。

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JR鷹取駅、神戸方面を見ています。快速も停まらない駅ですが12両以上の長さをもっています。停車中の201系は下り電車です。本来はホームの右側に着きますが、下り列車線に停まってます。本来の上り電車線はホームから延長された板の下、ホームには乗車位置が書いてあります。この頃の201系は6+6の12両で快速にも使ってました。

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神戸方面直進の案内。上り電車は本来の上り列車線を使ってます。この先に鷹取工場職員専用通路(地下)があり、それを使ってヤードの一番山側の仮設ホームへ。専用通路から上り電車を降りた人たちが出て来ています。

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クハ115の後ろ奥に小さく上りホームの駅名板が見えます。ちなみにここに留置されてた車輛は、ほとんどが横転してましたが、戻されてます。破損したドアや窓は板でふさがれてました。
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上りホームはもちろん仮設、すぐ右は鷹取工場です。次駅が「ひょうご」になってます(本来は新長田)
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鷹取からの前面も撮ろうと思ってましたが、車窓を見てしまうとやはり撮る気にはなれませんでした。

鉄道の復旧は人々に勇気と希望を与えるとよく言われてますが、ほんとうにその通りです
私はそれらの状況を新聞によって得、スクラップしておりました。それは誰かに伝えるためとかではなく、復旧していくのがただただ嬉しかったのだと思います。

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その中でもこの記事には涙をこらえることができませんでした。
勝手に出していいのかわかりませんが、これだけは・・
神戸新聞3月13日付け夕刊。

この時点では、阪神とJRは三宮を走ってましたが、どちらも不通区間をもち、全く本来の姿ではありませんでした。
しかし、走ってることは事実。

走ってないのは阪急だけだったのです。

この日復旧した阪急も4駅間。全通した訳でもありません。

特徴ある阪急三宮駅ビルの姿も、もうありませんが
全通までの3ヶ月間、車庫へ帰れない搬入車輛たちが三宮を、
たしかに走りだしたのでした

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続、年末スマブラ、あれがもしも197X年だったら!!

前回の続きです。
えーまだやるのーって言われても無駄です。だってもう用意しちゃったんだからやるんですってば、わああああーん!!
そういえばこの前、近くのスーパーで「パイプ机とパイプイス」というガチャポン(江戸ではガシャポン?)を見つけました。そんなもんナニにするんだろうとよく見たら「記者会見を開こう!」と書いてあり思わず「んがっ」と言ってしまいました。「昭和の電車ガチャポン」はないのでしょうかね・・

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場所を移動しました。鷹取寄りの踏切です。
このあたりは見通しがよく、長編成もOKです

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「103けー!!!! むこうの奴、邪魔!!」(byニャンニャン)

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な、なんやコレー、 あ~あ、いっちばった・・

「そういえば、このへんにラジ関(ラジオ関西)あるんとちゃう? 
たしかボーリング場も。」

それはあのビルのところです、左となりがボーリング場
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あの超高層12階ビルの屋上からは景色がいいんですわ、
ちなみに今居るところを上から見たらこーんな感じ
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ここがいつも撮ってる踏切でーす
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「右から2本目は引き込み線やろ、つぶせば駅でもできそーやな、須磨海浜公園駅とかいう名前で・・」
そんなことしたらわいのホームグランドがーー・・・

鷹取まで、うしろからくる電車の音をあてながら歩きます
73!「103!」 EF65!「103!」 キハ58!「103!」・・・

あ、ニャンニャンさん、この北に鷹取工場がありますよ、そこは・・
「もー読んだからええっちゅうねん」
え、なに読んだんすか?
それはね

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やっと鷹取駅到着〜

ここからこの電車で元町へ
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ニャンニャンさんは乗車中スタンションポールをずっとつかんだままでした。
そして、なぜかうっとりした目をしておられました
そして元町到着〜

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「あーあ、ロクなんけーへんなー」

・・・駅出て歩道橋いきましょか

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おおおー
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おおおおおーーー!!
やっぱ長編成はいいっすねー。さいこー!!

あれ?
ニャンニャンさん?

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やっぱ、このヒト103けーしかダメみたいでしたー

そのあと洋食さんと合流して喜劇駅前喫茶カニアンへ行きました
めでたしめでたし


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年末スマブラ、あれがもしも197X年だったら!!

昨年末某イヌゲージのブログ主さんとお会いし、いろいろ回りました。その時の様子は報告させていただきましたが、某イヌゲージさんのワレ(ワンワンレポート)にも良いように書いていただいてます。
 ワレはここほれわんわん→
 →ワタシのはこちら

そのお返しにちょっとこんなのをやってみたいと思います。もしも、あれが1970年代なら・・・。
ちょっと時代が前後してますが、そのへんはつっこみナシ20でお願いしまーす。では、

ずっとお正月だよ!!
おなじみ「もしも」のコーナー、
いってみよぅ!


突然、黒い電話が鳴りました。電話はいつも突然鳴り出します
「はじめまして、パソコンこわれたって、オメデトー」

みなさん、

はじめてかける人に、これ言えますかぁぁぁー
あれは忘れもしない、えーと、たしか・・えーと・・いつだっけ

声の主は、江戸のニャンニャン殿でした。

ニャンニャン殿はこの電車で須磨寺到着~!
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「いつも撮ってるとこつれてけー」とおっしゃるので御案内させていただきました。するとすぐ

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「屋根高5200キター 阪急ではやっぱり屋根高かおる世界一周!!」
・・なんかわけのわからない事を叫んでおられました。
しかし、その後は、
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困難しかきません

仕方なく「こ、国鉄行きましょか」とスマをブラブラ移動しました。
やってきたのは山陽本線須磨―鷹取間、スマタです。スマタでニャンニャン大喜びーっ!

なんで喜んでるのかワタシにはわかりません 

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ここは柵も低く、見通しもいいです

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でも、これ電車ちゃうやんなー!!! 
機関車と気動車やんなー嗚呼〜!!!


おそろしか言葉がでてしまいました。

いや、お電車、もう来ますから、ホラ

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「おおーっっっ!!」
川重の公式試運転ですね、これも
何年か後にはモケーになるんでしょうなー
「ギクッ」
どうかされましたか? 今なんか「ギクッ」って・・・

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こんなボロいらんがな〜
103けー早よっ!!


その時でした。上りの貨物がやってきました

「ああーっ、ロクゴの重連やー」とワタシがカメラを構えますと
ニャンニャン殿は何か唱えました

「吹けよ嵐、呼べよ被り隊」

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なに呼んどんねんーーー!!!

つづくかも・・・

って、こんなん誰か見たいですかね? ヘヘ

新年のごあいさつ

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hankai12.jpg



けっ! やっぱコイツ更新してねーじゃん
まだあのグチャグチャのやつかよー!!

ん? まてよ、昨日と画像がちがうぞ

と気付かれてスクロールしてくださったおっちゃんのみなさまこんにちわー
実は年末にネガの整理をしてましたら、昨日と本日の画像がでてきたのです。これはたぶん新今宮駅のホームから撮ったものですが、全く記憶にありません。
撮影は前後の画像から1972年、関西本線のついでと思います。通天閣もぼやーと写っており、もっと早く見つけてたら例の本にもイケたかもな写真で
もったいないことしましたっ!(糞核爆)

5146.jpg

お正月といえばコレ、阪急宝塚線の初詣臨時特急。
→今年のHM付き1000けーの超美麗お写真はコチラ

この写真は「阪・僕」にモノクロで掲載させていただきましたが、実はこのネガ、ありません(泣)。でも宝塚線関連は少ないし5100のWパンタだし、なんとしてもカラーで載せようとがんばったのですが、これ絹目プリントなんですよー、しかもえぐい変色つき。という訳でモノクロに。ブツをお持ちで、お暇な方は、よーく見ていただくと(見てどーすんねん)絹目が見えます。
しかし、年末に絹目の消し方を書いてる本を発見、早速試したところ完全ではないですが、今までの方法より効果があり、あとは変色をなおせばなんとかカラーで見れることがわかりました。
そこで同じ理由で断念してたプリントにもやってみました。
もちろんこいつらもネガなし野郎です。

2250.jpg
同じ時に撮った2200系、処理で少しボケてます

711c.jpg
こちらも同じ時の711 架線がとんでモターー

3514.jpg
阪神3514他 センバツマーク付き

3635.jpg
山陽3000・3050系で唯一の黒Hゴム車3635-3060、チョイ悪顔が、すごく好みでした。デビュー直後(1977)の3連。ウィキによると3635は事故で白ゴムに。さらに塗色変更で全車白ゴムになったそうです。これからはこの顔かぁと喜んだのですが、この編成のみでした。
下は普通の3000系です。お暇なーらー比較してよね
3603.jpg

このうち阪急梅田で撮ったものはどこかにプリントがあるはず(それまでないんかぃ!!)なので見つけたらまた紹介させていただきまーす。

しかし絹目って今でもあるのでしょうか・・発色落ちるし、爪とぐ位しか使い道ないと思うのですが、なんでこんなの頼んでたのか自分でも不思議です

新年のごあいさつ

aisatsu.jpg
hankai1.jpg






koredake.jpg

・・・そんなんいわれてもなんでおこられるんか
おばちゃんわからへんわー

あのなー、一流のブログ主さんは、みんな新年早々更新してちゃんと記事書かれてはるねんでー。もう昼やし
ま、メリークリスマスのおけいはんはおいといても
初心者やからわからへんかったでは
須磨へんでぇぇー!!!


そ、そーなんーかぁぁぁーー え、えーと、画像、画像ーっと
あった!!

kaburi.jpg

あほかーーーっ!!!
なんで新年早々天中殺やっとんねん!!

でもきれいな富士山もあらへんし、
こりゃおもろいぞと考えとった「謹賀新電」も使われてモター

あ、あしたちゃんと更新しますからなんとかこれでーーひぇーー
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