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2021年の1月17日

26年前の1月17日、見えない力でこの街は壊滅的な被害を受けた
だが今、街を歩けばそんなことがあったことを感じ取ることはできない
涙の数だけ強くなれる・・という歌があったが
まさにそのとおりなのかもしれない

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それから26年後、新たな見えない敵と戦っている

マスクなどせず、笑って歩ける街に
きっと・・・



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あれから21年

神戸在住としてはやはりこの時期いろいろ思い出してしまいます

今年は鉄道各社の復興関連パンフレットやチラシ類で振り返ってみようと思います。
なお昨年の2記事もよければご覧ください
JR須磨~神戸間の復旧→
山陽東須磨~西代地上区間廃止→


JR西日本
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左は1月末頃のもの、東海道線(JR神戸線)が不通なので大きくう回するように書かれてます。寝台特急も姫路から播但・山陰・福知山の各線経由で大阪へ向かってました
右は4月開通直前の案内チラシ
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開通前日(3月31日)の神戸新聞。車両も懐かしいやつらですね
■4月1日JR神戸線全線開通
(一部仮設駅あり)


山陽電車
広報紙「みなさまの山陽電車」
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全線開通したものの神戸高速がストップしたままなので8月まで高速長田折り返し。また、駅全壊の塩屋は仮設駅

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写真ではカーブしてますが仮設駅はこのあたりだったと思います(奥の方の坂と背景の山の形が手がかり)
私も2回ほど使いましたが、このスペースに駅を設けたのには驚きでした
■6月18日全線開通
(塩屋駅は96.3復旧)


阪急電車
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広報紙「阪急沿線」は「阪急沿線LINEA」と名前を代え小冊子になってました。
左の7月号は「夙川駅に鯉が戻ってきました」右の12月号には先日クローズした三宮駅ビルの絵に「またひとつ、神戸三宮に笑顔が戻ってまいりました」の文字、さりげなく入ってるところが阪急らしいです
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全線開通の6月号にも「いよいよ神戸線が全線開通します」と小さく。そして別に臨時号を発行しています
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大判の全線開通チラシ
■6月12日神戸線全線開通
(伊丹線など一部仮設駅あり)


阪神電車
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広報紙「みなさまの足 阪神電車」の6月号と7月号
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全線開通チラシ
■6月26日全線開通
(一部仮設駅あり)


神戸高速鉄道

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阪神全通時の西元町駅時刻表、下りはすべて高速神戸・新開地止まりになってます(阪急も)。大開駅の崩落で西の山陽との連絡は8月までできませんでした。また震災から開通するまで、閉じ込められて自社の車庫に帰れない編成があり、新開地などで人力で洗ってましたが、みんなかわいそうなほど汚れていました。車両点検のためコンクリにピットも掘ったそうです
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開通チラシ
路線図を拡大すると新開地〜高速長田間に大開駅がなく右下に「来年3月(実際は1月)まで通過」と記載されています。
この頃、大開駅があったところは地下に太陽光がふりそそいでました
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「みなさまの足 阪神電車」9月号には乗入れ再開の記載が
■8月13日全線開通
(大開駅は震災からちょうど1年後の96.1.17復旧)

当時の鉄道雑誌ではRJ以外震災関連をあまりとりあげていませんでしたが、少し後にRFが「阪神大震災 被災と復興の記録」を連載、各鉄道会社が書いてる貴重な記録なので、ぜひ単行本で出してほしかったのですが・・・

去年も書いたと思いますが、鉄道の復旧ほど勇気をもらったものはありませんでした。
それは単に私が「鉄道が好き」だったからなのでしょうか?

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阪急沿線「LINEA」より 

すべて勝手に転載しました、お許しください



阪神大震災 消えた鉄路

阪神大震災は、各鉄道に多大なる被害をおよぼしましたが、すべて復旧しました。しかし、その復旧過程で廃線になった所があります。それは山陽電鉄の東須磨―西代の地上区間です。もともとここは、地下化されるべく工事が進んでおり、春の完成まであと一歩というところでした。
当然、この区間も被害をうけましたが、山陽がとった復旧方法は、地上区間をあきらめ、地下線で復旧するというものでした。ゆえにこの区間は震災当日に廃線となり、私はその前日に乗ったのが、なんの前ぶれもなく突然やってきた「さよなら乗車」となってしまいました。
そろそろこの区間をちゃんと記録しておこうと考えてた矢先の震災・・・

地震から2ヶ月後の3月26日、やはりバカチョンを持ってこの区間を歩いてみました。

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東須磨駅です。右側2線が従来の上下線、左側の単線は新線です。
この時点では板宿まで開通(3月24日)しており、単線で乗り入れのためタブレットを使用してたようです。
さらに次駅の西代は新線も被害を受け、6月18日の開通まで待たなければなりませんでした
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現在の東須磨駅。地下入り口が見えてます
下の写真はこの入り口の左あたりで撮ったものです
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東須磨―板宿間を行く3000形
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これは現在の同地点。跡地は道路になってます

板宿手前から東須磨方面を見たところ
よく見ると
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線路はへろへろです
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現在の同地点

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板宿駅を西側から見たところ
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現在の同地点。当時のビルがあるので分りやすいです

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板宿駅の東側、踏切から
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現在の同地点、やはり当時からあるビルが目印に。
かなり広い道路になってます。この地下に山陽板宿駅があり、その下を直角に市営地下鉄が交差してます

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山側改札

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この階段、何度通ったことだろう

ここから西代にかけて線路跡は幅広の道路になってます

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全く面影ないですね・・・
道のつきあたりに赤い道路橋が見えたら西代、もともとは山陽を乗り越すために造られた道路橋です
例の四角5100はここで撮ったものです
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現在の同地点。雰囲気が残ってます。このカーブを曲がったところに西代駅がありました

今でも急カーブを行く電車の軋み音がきこえてきそうです

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本線は分岐してカーブ、まっすぐ手前にのびる線の先には西代車庫がありました。しかし78年に車庫はなくなってます。

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駅を過ぎると地下入り口が見えてきます

もうここを電車が走ることはありません

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地震の半月前に発行された山陽の広報紙1月号には
「1995年、飛翔の年」の文字とほぼ完成した板宿駅の写真。
そして、地下線の説明が記されてます。

祝賀ムードもなにもない地下開業でした
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感動をくれた鉄道復興

6400人以上の命を奪った阪神・淡路大震災。
あれからまもなく20年になります。
目を疑う光景の連続でした。そんな中、各鉄道は懸命に復旧にあたってました。その復旧プロセスは鉄道趣味人にとって非常に興味深く、「そんなことまでして走らせるのか」という驚きばかりでしたが、記録はしてません。震災直後はカメラを持つことにすごく罪悪感を覚えたからです。
ですから、「撮っておけば・・」の後悔もさほどありません。

当時、私は須磨で暮らしてましたが、水もガスも出ないので塩屋の奥にある実家に疎開、そこから神戸にある仕事場まで原付で通いました。電車が神戸まで開通したので塩屋から電車通勤に、そのルートはこのあたりを知ってる鉄なら驚くべきものでした。以下は須磨―兵庫間のルート図です。いちおう説明文も添えます。なお新長田は駅が崩落してるので通過扱いです

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【上り神戸方面行き】
須磨を出て天神橋をくぐるまでは通常の速度です。その先で速度を落とし、ポイントで下り列車線、そして上り列車線へ転線し、鷹取のヤード最北の仮設ホームへ。ここは普段貨物や新快速がとばして通過する線です。
鷹取を出ると徐行しながら今度は下りの列車線へ転線。逆走しながら新長田で電車線ガードをくぐります。そのまま進み、兵庫手前で下り電車線、上り電車線と転線して兵庫駅ホームへ入ります。
【下り明石方面行き】
兵庫駅を出ると減速し、下り列車線に転線したあと鷹取と兵庫を結ぶ回送線に転線。普段は和田岬線用と川重からの新車を回送する線で急遽電化したそうです。ただ線路状態が悪く、ロングレールでもないので左右に揺れ、徐行のまま進みます。地方鉄道に入線した元大手私鉄の空気バネ車輛の乗り心地といった方が皆さんには分かりやすいかもしれません。やはり新長田で電車線ガードをくぐり山側へ。そして下り列車線に転線。そのまま鷹取駅へ。鷹取では上り電車線の上に板張りの仮設ホームを作ってます。鷹取を出ると上り電車線、下り電車線に転線。ここから西は上下とも電車線しか使ってませんでした。

走れる所をつなぎ、まるで綱渡りです。仮設ホームをつくり、回送線を電化までして電車を走らせたJRにはほんとに頭が下がる思いでした。

1ヶ月たち、ようやく水が出たので、私も疎開先の実家から家に戻り、鷹取駅から通勤する生活に戻りました。その際、一度だけ小型のバカチョンカメラを持って出かけました。

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JR鷹取駅、神戸方面を見ています。快速も停まらない駅ですが12両以上の長さをもっています。停車中の201系は下り電車です。本来はホームの右側に着きますが、下り列車線に停まってます。本来の上り電車線はホームから延長された板の下、ホームには乗車位置が書いてあります。この頃の201系は6+6の12両で快速にも使ってました。

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神戸方面直進の案内。上り電車は本来の上り列車線を使ってます。この先に鷹取工場職員専用通路(地下)があり、それを使ってヤードの一番山側の仮設ホームへ。専用通路から上り電車を降りた人たちが出て来ています。

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クハ115の後ろ奥に小さく上りホームの駅名板が見えます。ちなみにここに留置されてた車輛は、ほとんどが横転してましたが、戻されてます。破損したドアや窓は板でふさがれてました。
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上りホームはもちろん仮設、すぐ右は鷹取工場です。次駅が「ひょうご」になってます(本来は新長田)
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鷹取からの前面も撮ろうと思ってましたが、車窓を見てしまうとやはり撮る気にはなれませんでした。

鉄道の復旧は人々に勇気と希望を与えるとよく言われてますが、ほんとうにその通りです
私はそれらの状況を新聞によって得、スクラップしておりました。それは誰かに伝えるためとかではなく、復旧していくのがただただ嬉しかったのだと思います。

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その中でもこの記事には涙をこらえることができませんでした。
勝手に出していいのかわかりませんが、これだけは・・
神戸新聞3月13日付け夕刊。

この時点では、阪神とJRは三宮を走ってましたが、どちらも不通区間をもち、全く本来の姿ではありませんでした。
しかし、走ってることは事実。

走ってないのは阪急だけだったのです。

この日復旧した阪急も4駅間。全通した訳でもありません。

特徴ある阪急三宮駅ビルの姿も、もうありませんが
全通までの3ヶ月間、車庫へ帰れない搬入車輛たちが三宮を、
たしかに走りだしたのでした

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