国鉄鷹取工場(3)
うーむ、3回目ともなるとネタがない(爆)
今までの2回が見たいというもの好きな方は右側の「車庫訪問」からどうぞ
こんなブログをやってますと、たまに「写真を使わせて」というお話が来たりします
そのおかげで内容はめっちゃいいけど値段でとまどうあの本や、毎号付録がついてくるというあの社の本にも出させていただきました ありがたいことです
でもこの方の依頼は意外でした
「写真で絵を描いてもええか?」
「へ?」と思いましたがお話を聞いて納得、彼は絵本作家さんでした
なんでもお父さんが国鉄鷹取工場に勤められてた時に聞いた話をヒントに絵本をつくろうと思われたらしく、「鷹取」で画像検索したら、たまたま
妙なブログがヒットしたとのこと(爆)
お父さんが鷹取工場勤務ということはおそらく神戸出身、でも現在は江ノ電の近所にお住まいだそうです
一度会いましょうということになり、なぜか須磨寺の喫茶店でお話を聞きましたら
この方、なんと小・中・高の後輩でした
その彼から先日 絵本が送られてきました

じょうききかんしゃビーコロ
作・絵 ミノオカリョウスケ 童心社・刊
ビーコロというのはBタンクのことでしょう、お父さんがよく口にされてたらしいです
タカトリのビーコロが何だったのかはわかりませんが、彼は今も梅小路にいるB2010に置き換えてお話を作られてます
絵はしっかりと描き込まれており、ストーリーも魅力的!!
これをご覧になってるおじいちゃん
そう、あなた(爆)
お孫さんにぜひいかがでしょう!!

操車場の左(北)側に広がる工場
横切る道路のすぐ上に威厳ある大きな建屋が見えてます


工場脇の上り本線をいく58の荷レ
鷹取工場はとにかく広く、その跡地には小学校、病院、公営住宅、マンション、スーパー、広いグランド、公園と、ひとつの街ができています
駅からの地下通路にその記録があるのみ、昔の鉄以外はそこに工場があったとは思えないでしょう
いつからか定かではないですが、毎年工場公開が行われてました

「国鉄鷹取工場」やっぱ響きがエエなぁ~
国鉄末期昭和61年のちらし
よく見れば一番上に「みやび」の宣伝がありますが、翌年の公開ではグランド脇にブルーシートをかけられて置かれており、涙の対面となりました
公開の様子は子供が小さかったのでビデオで残しており写真は殆どありませんが、年に一度のお楽しみ、毎年かかさず行っておりました
上のちらしにも名前がありますが、当時義経号と若鷹号はたしか正門を入ったところの芝生内にあったような憶えが・・・義経号(京都鉄博にいる)にはあまり興味がありませんでしたが、若鷹号は好みでした

これが若鷹号・・・この年(年不明)は化粧されて違うところにいました
はばたくいのち~若鷹の若鷹の という歌が聞こえてきそうです(謎)
今は京都嵯峨に居るそう、いつか会いたいです
背後にはレンガ積みの建物。工場内には歴史を感じる建物も多く、それらも記録しておけばよかった・・・

スイッチャー 晩年はこんなおしゃれさんに、これはなんかソソられます

朱赤時代は竹槍マフラー

工場から引っ張り出してきたのはコレ

ふふふ、隠してもおじさんにはわかるぞー
工場入場ということはこの頃は動態だったのか・・・

毎年の公開での目玉イベントは蒸機+マイテの乗車体験
やってくるのはもちろん梅小路の動態保存機、C612、C56160、D51200など
検査に合わせてたのかもしれませんね

背後の巨大看板の明かりに照らされる検査上がりのEF65とイベント終わりで梅小路に返却されるC612

鉄道100年記念券

今でも愛読書、鷹取工場編「蒸機とともに1世紀」




園児たちの記憶に少しでも残ってるかな



・・・ほんまにいろいろ楽しませてもらったなぁ
ありがとう

鷹取工場は2000年、網干に統合
その長い歴史に幕をおろしました

今までの2回が見たいというもの好きな方は右側の「車庫訪問」からどうぞ
こんなブログをやってますと、たまに「写真を使わせて」というお話が来たりします
そのおかげで内容はめっちゃいいけど値段でとまどうあの本や、毎号付録がついてくるというあの社の本にも出させていただきました ありがたいことです
でもこの方の依頼は意外でした
「写真で絵を描いてもええか?」
「へ?」と思いましたがお話を聞いて納得、彼は絵本作家さんでした
なんでもお父さんが国鉄鷹取工場に勤められてた時に聞いた話をヒントに絵本をつくろうと思われたらしく、「鷹取」で画像検索したら、たまたま
妙なブログがヒットしたとのこと(爆)
お父さんが鷹取工場勤務ということはおそらく神戸出身、でも現在は江ノ電の近所にお住まいだそうです
一度会いましょうということになり、なぜか須磨寺の喫茶店でお話を聞きましたら
この方、なんと小・中・高の後輩でした
その彼から先日 絵本が送られてきました

じょうききかんしゃビーコロ
作・絵 ミノオカリョウスケ 童心社・刊
ビーコロというのはBタンクのことでしょう、お父さんがよく口にされてたらしいです
タカトリのビーコロが何だったのかはわかりませんが、彼は今も梅小路にいるB2010に置き換えてお話を作られてます
絵はしっかりと描き込まれており、ストーリーも魅力的!!
これをご覧になってるおじいちゃん
そう、あなた(爆)
お孫さんにぜひいかがでしょう!!

操車場の左(北)側に広がる工場
横切る道路のすぐ上に威厳ある大きな建屋が見えてます


工場脇の上り本線をいく58の荷レ
鷹取工場はとにかく広く、その跡地には小学校、病院、公営住宅、マンション、スーパー、広いグランド、公園と、ひとつの街ができています
駅からの地下通路にその記録があるのみ、昔の鉄以外はそこに工場があったとは思えないでしょう
いつからか定かではないですが、毎年工場公開が行われてました

「国鉄鷹取工場」やっぱ響きがエエなぁ~
国鉄末期昭和61年のちらし
よく見れば一番上に「みやび」の宣伝がありますが、翌年の公開ではグランド脇にブルーシートをかけられて置かれており、涙の対面となりました
公開の様子は子供が小さかったのでビデオで残しており写真は殆どありませんが、年に一度のお楽しみ、毎年かかさず行っておりました
上のちらしにも名前がありますが、当時義経号と若鷹号はたしか正門を入ったところの芝生内にあったような憶えが・・・義経号(京都鉄博にいる)にはあまり興味がありませんでしたが、若鷹号は好みでした

これが若鷹号・・・この年(年不明)は化粧されて違うところにいました
はばたくいのち~若鷹の若鷹の という歌が聞こえてきそうです(謎)
今は京都嵯峨に居るそう、いつか会いたいです
背後にはレンガ積みの建物。工場内には歴史を感じる建物も多く、それらも記録しておけばよかった・・・

スイッチャー 晩年はこんなおしゃれさんに、これはなんかソソられます

朱赤時代は竹槍マフラー

工場から引っ張り出してきたのはコレ

ふふふ、隠してもおじさんにはわかるぞー
工場入場ということはこの頃は動態だったのか・・・

毎年の公開での目玉イベントは蒸機+マイテの乗車体験
やってくるのはもちろん梅小路の動態保存機、C612、C56160、D51200など
検査に合わせてたのかもしれませんね

背後の巨大看板の明かりに照らされる検査上がりのEF65とイベント終わりで梅小路に返却されるC612

鉄道100年記念券

今でも愛読書、鷹取工場編「蒸機とともに1世紀」




園児たちの記憶に少しでも残ってるかな



・・・ほんまにいろいろ楽しませてもらったなぁ
ありがとう

鷹取工場は2000年、網干に統合
その長い歴史に幕をおろしました

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