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恵那にて

1973年3月末
富山から超満員の急行「のりくら」で夜の飛騨路をひだ走り美濃太田へ
そして太多線の始発で多治見についた
ここから木曽へと向かうのだがその前に恵那へ寄った

当時、旧型の電車には全く興味がなかったが、乗った電車は↓こんなのだった

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戸袋窓がなく扉ギリギリまである座席
3扉改造車なのだろうか

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車内はこんなの、ボックスだがサロ格下げっぽいシート
座席の配置が独特で、窓が小さく窓間が広い

実に味があるやないか~

もう少しまじめに撮っておけばよかった(爆)
でもこのシート、ほぼ徹夜の腰とケツにはありがたかった

恵那に着いたあと中津川寄りの大カーブで明知線用のC12の単機回送を待った

話はそれるが私は撮影時の行動の記録をほとんど残してない。「記憶」は全くあてにならんので撮った写真と当時の時刻表やSLダイヤで行動を特定しているのだが、時々辻褄があわないことにぶちあたる。
今回においては明知線C12の運用が発表されてたダイヤとは全く異なっている、それをどうやって知ったのかが謎だ
あぁ気色悪っ(爆)

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しなのが来た

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かっこええなぁ 乗務員ドアが開いとるけど

そして、いつぞやも出したがこういう状況でお目当てのC12はやってきた

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明知線は本数少ないくせにわざわざこの時間に来んでも・・・
被られたのは仕方ないが大カーブを逆向きで飛ばしてやってくる姿に萌え~

C12は着いたらすぐ入換えをはじめた
貨物発車まで時間があるのでその汽笛を聞きながら朝飯

腹がふくれたので駐機場へ行ってみた

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69・・ええ番号やないかw

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しかし、なにやら職員があわただしい
そのうちの一人に声をかけると、なんとこの69号機は故障!!

え、明知線ウヤですか?
いや、もうすぐ代わりが来よるで・・・

マジデスカー! というわけでふたたび朝の地点へ(爆)
朝は被ったが、もう一度チャンスが!!

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ロクヨンの貨物
他70・80系の普通電車やDCも通過してるはずだが見事に撮ってない

そして、けぇへんやないけぇ~と思った時だった
なんとロクヨン牽引名古屋行き客レの
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ケツにぶらさがって来た!!
しかも
230やないか~っ!!

1年前、加古川で涙のお別れをした230
てっきり もう・・・バラバラに・・

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生きとったんかぃ~~~♪

残念ながら明知線の貨物まであまり時間がなかったので駅には戻らず、それを撮るべく明知側へ

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これは別の日に撮った恵那駅で出発待機中の明知行貨物
本線とわかれるとすぐに急こう配が控えている

さて肝心の明知線貨物、撮った写真は
なんでこんなところで・・という謎の場所だった

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でも2枚目の写真でなんとなくわかった
このあたりにはヲタが多かった、それを必死で隠そうとしたのではないか
列車が急坂で遅いのを幸いにどうやら移動しながら撮ったようだ

思い入れのあるC12230だったから・・・
だろうな

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C12230は明知線無煙化後、木曽福島へ転区し電化後も上松入換え用に生き延びたがC56と交代して廃車になる
そのC56も七尾線で涙のお別れをした124だった

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中央西線 落合川

中津川駅のベンチ。一睡もせぬまま夜が明けた。
他にも同じ目的の人たちが多数。みんな一晩中ホームをかけずりまわっていたのだ。
中津川を朝イチで下るのは多治見発の急行「きそ1号」、かなりの人が乗り込む。残った人たちは私と同じ松本行普通823Dの客となり、そのうち次の駅で降りたのは私を含め10人ほど、地元の人はおそらくゼロ。

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なんと響きのいい名前

降りた人たちはみな線路方向とは直角の長い吊り橋を渡っていく。勝手がわからない私はそのあとをついていったが、こんな橋が生活道路というのがちょっとびっくりだった。

渡り終えたところの細い道を右へ。

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上からドスンときたらおわりだ

右手に第一木曽川橋梁が見える。下り線は去年架け替えられたそう
対岸の撮影地へはこのルートが正解のようでひと安心、ついて来てよかった。

鉄橋についた。線路の向こう側もいいのはわかっているが、先客が何人か。
手前のガケを登るとあの構図! それだけでも興奮。


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すぐ左下はトンネル、重連の6864レが出てきた。

中津川へ向う上り列車は鳥居峠を越えるとほとんど坂を降りるので楽だろうと思ってたが、落合川から中津川の間に25‰の峠があり、下り坂で温もってないカマの蒸気をあげるのに2~3駅も前から準備したそうだ。重い列車は下り坂を活かして落合川を制限ギリギリか、あるいは・・で通過したとか。そしてすべてタイミングが悪ければ登りきれない・・・登り勾配が連続する下り列車の場合、当然もっと過酷である。
当時の機関士たちの苦労話を知るにつけ、ある方の名言を借りると蒸機はまさに「すさまじい乗り物」だったのだと思う


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これが先ほど渡って来た吊り橋。ここは木曽川だがどうやらダム湖になってるようで奥に排水門が見える。
そしてそのむこうに見えるのは接近中の869レの煙


まもなくだ


汽笛とドラフト音、木の向こうから煙が近付く
全力で向って来る!

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仲間と笑ってる奴、ひとりで薄笑いしてる奴、そして阿呆みたいに涙流してる奴・・・
それぞれが軽く会釈して散っていった


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やっと震えがおさまりかけた
すばらしい感動を与えてくれた869レの本務機は

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238号機

木曽で何度か会った同機は現在薮原にて保存されており状態もいいそうだ、
うれしい限り!
こちら→



7時をすぎ、ようやく山が輝きかけた

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上りの普通

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格下げの合造車、電車といい気動車といい西線ではよくあたり、ちょっと得した気分になれた

ここでサイドから狙うのもいい!! 
次に来る1891レもここで撮ろう


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山からやっと顔をだした陽に照らされ、煙が美しい

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・・・・・・


こんなシーンもあと2ヶ月

おちあいがわ
素晴らしい所だったが
もうおそらくここへ来る事はないだろう

6時30分に降り、8時01分に乗るまでわずか1時間半。
たったそれだけとは思えないほどありあまる満足感
それをかみしめて駅へと歩いた

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きっと誰もが、そうだったにちがいない




中央西線 贄川

木曽路はすべて山の中・・・
眠い目をこすり窓の外に目をやると、見覚えのある「是より南 木曽路」
贄川(にえかわ)に停車中のようだ、懐かしい思いにかられて窓を少しあけた

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木曽路の北限は、ここ贄川であるらしく、ホームには「是より南 木曽路」の文字がたてられている。
そういえば昔、この文字を撮った覚えがある。あれは電化間近でホームの嵩あげ工事の真っ最中・・・

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ヘッダーのない、というかはがされたような古い客車
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ホームからはみだす長い普通列車は、荷物・郵便のために運転されてたようなものだった。

嵩あげ工事をしているのは近所のおばさんたち

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よく見られた光景。
この時代の地方をささえたのは、おばさんたちかもしれない

ホームの嵩あげは、きれいになっていいのだが、いつもさみしい気分になるのはなぜだろう

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さらに昔、私が初めてこの駅に来た時「是より南 木曽路」はひとつの木に掘られていた。

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蒸機もディーゼルもあとわずか・・・

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駅が奇麗になり、架線柱が建ち、架線が張られ
まもなくここを電車や電気機関車が走る

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山の形は同じ

私の記憶の中にあるこの駅は

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空が広かった



中央西線 藪原あたり

中央西線の最大の難所鳥居峠、この峠は藪原—奈良井間にあります。私が行った時はすでに鳥居トンネルで貫かれてましたが、旧線はクネクネ勾配、それゆえ撮影名所でもあったようです。
とはいえ現在でも難所であることにはかわりなく、塩尻側から、名古屋側からここをめざして列車たちは登ってきます

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前夜は木曽福島の駅前旅館で一泊、汽笛とドラフト音聞きながら寝るのは最高。なお駅ソバは黒っぽ~い出汁でした

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普通列車で藪原へ、この列車を逃すと次は3~4時間後、おそろしいダイヤです

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藪原駅を出る下り(塩尻方面行)貨物、今から峠越えに挑みます

ちなみに鳥居峠塩尻側の駅は奈良井

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奈良井宿の旅館は有名な所が多く金額的にぜってー無理と思い木曽福島にしたのでした

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奈良井から鳥居峠に向かう重連。奈良井—藪原間は複線です

さて藪原駅
名古屋方に向かって歩きます。

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悲喜こもごも、さまざまな思いをのせた特急「しなの」が名古屋からやってきました

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すぐに木曽川橋梁。中央西線には木曽川橋梁が多数存在します。そのため第○木曽川橋梁と名付けられてますが中津川付近にも同じ名があったりややこしいです、たしか管轄局の違いとかですが・・・
画面左に見える跨線橋が藪原駅、そこからぐい~んとカーブしてこの場所にやってきます。
今思たらここええ場所でんなぁ、もっとここで撮ったらよかったっす

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このあたり国道、川、中央西線とならんでます。木がーー(爆)
しばらく歩くと山へ向かう道があり、曲った川に沿って線路に近付くと

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目的の鉄橋へ到着。これも木曽川橋梁です

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右から左からD51の貨物、中央西線は本数の多さも魅力的。
当時はあちこちの駅で、やってくるファンのため手作りの時刻表を用意してくれてたりしました。
藪原駅のものはなんと手作りダイヤグラムでした

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秒まで記されてますが、3駅を均等に配置してスジが一直線のためちょっとズレ・・あ、そんなこと言うと空気読めないとか言われそうですね、ありがたいことです。
さらに右下をよく見ると

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「絶対にお止めください」ではありません
おおらかな時代でした、人身事故なんてほとんど聞いたことなかったし・・・

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鉄橋脇を登りました。ここは有名撮影地ですが、すごくイイところになぜか小屋があります

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さらに惜しいことに力行でやってくる下り線のみPCケタになってます
汽笛を鳴らしてるのはすぐトンネルに入るためかファンサービスかどちらかです

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お目当ての重連、日中の下り重連は、この1本のみ

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ああっ
みなさん、お元気ですかぁぁーーー!!

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お知らせ
しなGさんがブログ「静かな空 青い空」を始められました〜
リンクしてますのでよろしく〜
しかし、どっかで聞いたような・・・(爆)

中央西線 上松

みなさんシルバーウィークいかがでしたか~
さわやかな秋晴れにめぐまれ、鉄のみなさんはさぞかし忙しかったのではないでしょうか
いい絵、撮れましたかぁぁぁ~
            ハァ~やっとおわった・・・

ワタシには後悔することがいっぱいありますが、本日の話はおそらくその最大級のものです
出てもう2年になるようですが、最近見つけたこの本を買いました
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連休中どこへも行かず、ずっとこれを見ておりました

「きそしん」の車両は現役時代に中央西線上松(あげまつ)で見たハズなのですが、殆ど記録してません。
そこには酒井君や加藤君をはじめ、けったいなモーターカーや客車がごろごろしてたと思われますが、西宮の加藤君と同じく「けっ、なんやコレ」でスルーしてたに違いない
西宮の加藤君はここにちょこっと→
というか蒸機以外にフィルムを使いたくなかったんだと思います。
写真がないということは、周りの風景の記憶もない・・・
ところがこの本にはそのあたりの写真があり、消えかかっていた記憶がよみがえってきたのです。

そうやそうや、こんなんやったわ~

いやぁー昔の鉄道写真集っていいですね!!!

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まだ薄暗い朝6時、当駅始発松本行普通821レ。D51の貨物と交換で発車です

おはようございます、早起きでしょ、駅で寝てました(核爆)
夜中でも蒸機は来るので殆ど寝てませんが(おまわりさんも来たしぃ〜)

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ここ上松は木材の町、国鉄駅のすぐ隣には広いヤードがあり、あちこちに木がうずたかく積まれております。それらを運び込んでくるのが「きそしん」(なんか木曽信用金庫みたいやな)です

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D51重連貨物が降りてきました。すぐ横には走り回れるクレーン車がいます

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ん!?
なにか気づかれましたか、ワタシがいる線路、
ここにいるとひかれます、わーい!! ・・・じゃなくて
この先にも貯木場があり、そこまで国鉄ときそしんの3線区間になってます

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右の線路は762ミリ、なので左とは1067−762=えーっと・・の差があります

駅の山側(ここどこ見ても山やん・・・北西?)の貯木場を歩いて「きそしん」の上松停車場をさがしました。この時に出会った作業員の方に聞いたら
「あっちだけど、きょうは走らんよ」
「・・・・」
泣きそうなワタシら(同行者1名)をボールドウィンのいるところへ案内してくださいましたが、都合によりその場面は割愛させていただきます、
くわしくは・・(核爆)を

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塩尻側へ歩きます。上松駅構内は塩尻に向かってきつい勾配の途中にある休憩所みたいな感じで、下り列車はかなり加速して次の勾配にいどみます。木曽福島へ向かってダッシュする下り貨物がドカドカドカと短い鉄橋を渡ります、こういうシーンが好き♡
ここの名は「十王沢」いかにもな名前ですね。ここから左を見下ろせば超模型的なループがあったそうです
気付きませんでした〜 知りませんでした~(泣)

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少し進むと上松停車場、おもちゃみたいな客車が停車中。でも動く気配なし、さっきの作業員さんの言葉は正しいようです。横には運材台車がありますが興味なし、列車が走ってる姿のみ記録したかったのでしょう
梯子は火の見やぐらでしょうか
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頼むからもっと他のもん撮っとけよぉぉぉ~~~(泣)

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有名なコレは撮りました

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残念ながら「乗って事故ってもいっさい責任は負わん」の表記はないです。
らくがきだらけ、正しいへのへのもへじもあります

そこからこれまた有名な木曽川の鉄橋を渡り、すぐの鬼淵停車場へ行きましたが、やはり列車っぽい姿はなく、対岸を行く中央西線のD51を撮って引き返しました

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そして今度は国鉄線を塩尻側へ歩きました。結構な上り勾配なので、この先ならきっとすんばらしい力闘が撮れると思ったからです

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重連の回送がころがるように降りてきました。速いです

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対岸を見ると、先ほど行った鬼淵停車場が見えてました。しばらくの間は木曽川をはさんで国鉄と並走
上松では同じレベルですがここでは見下ろしてます。国鉄線は結構登ってることがわかります

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そのアップ、左手の「上松運輸営林署」の看板前にあるのはカブース4ケ!!
乗工社製でしょうか(爆) この当時は当然そんなもん興味なし(泣)
左から右へ登っていくのは支線跡かと思ってましたが道路らしいです。実際ここから小川線(廃止)が分岐してました

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突然下り貨物が! 先ほどの重連の回送もそうでしたが臨時のようです

目的の貨物は、となりの木曽福島から上松に入換えに来たC12が後ろにつく後部補機付873レですが、この日は残念なことに補機なし。
しかし、その迫力には大満足でした
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そして、駅へ戻ろうとした時のこと

川の音にまじってなにやら妙な音が・・・

あ、

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あああああーー!!! モケーか!!
冒頭の本で初めてわかったのですが、手前の木材工場にも引き込み線があったそうです。よく見れば機関車の下あたりにカーブした線路が見えてます。そしてここは池島という停車場、そんなこと全く知りませんでした

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吊り橋が池島停車場の決め手に・・・

これが、唯一見た「きそしん」の列車でした
おそらく「みやま号」です

今日は走らへんのとちゃうんかぃ!!!

客車列車は48キロを3時間かけて走ったそうです。ここから山奥へ48キロ、というだけでも驚きですが、それは全営業距離のごく一部にしかすぎません。
住民の足として、そして林業の町上松をささえた「きそしん」
上にでてきた鬼淵停車場の右側の看板に書かれてるのは住民の方たちの気持ちがこもった
「王滝森林鉄道廃止絶対反対」

しかし残念ながら「きそしん」はこの2年後、廃止になります

トコトコ走り去る姿、今でもはっきりと憶えてます

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